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6月の約束

 ん、朝、かぁ……。
 寝室の窓のカーテン越しに差し込み始めた柔らかい光に、ヴェインの意識はゆっくりと覚醒した。
 目を開けると最初に飛び込んできたのは隣で眠るランスロットの姿。
 いつも早起きの彼はまだ小さな寝息を立てていて、起きる様子はない。
 昨日、無理させたからなあ。
 ランスロットの顔に疲労の影が濃いのは自分のせいだと分かっていて、それを申し訳なく感じつつもヴェインの心は確かな喜びに包まれていた。
 ランちゃん、可愛かったな。
 普段は騎士団を率いる凛々しく格好良い彼が、自分の手にすべてを任せてくれた様子を思い返し、笑みが浮かぶ。
 ふたりが幼馴染、親友、その関係に恋人を付け加えたのはもう半年ほど前だったが、最後まで体を結んだのは昨日が初めてだった。
 キスは想いを通じ合わせたその日に交わしたし、軽い触り合いっこ程度なら何度もしたことがある。そこから先に進まなかったのはヴェイン自身がランスロットを大切に、大事にしたいと思う気持ち故だ。
 ……ランちゃんより大きくなりたいって願ってたけど。
 先を歩く彼の横に並び立ちたい、彼を護るための力が欲しい。そう願いながら努力も重ねてきて、完全にとは言えないかもしれないが、その願いは叶って。成長に後悔はない。しかし。
 いささか成長し過ぎた体はランスロットの負担になるのではとなかなか先に進むことが出来なかった。逆でもとは少しだけ思わないでもなかったが、ランスロットには男同士の性知識はあまりないようだったし、何よりヴェインがランスロットを抱きたいという気持ちの方が強かった。
 お嫁さんになってって言っちゃったくらいだしなあ。
 しかも小さな子供の頃に、だ。
 彼に守られてばかりいた時期にすでに、彼のことをお嫁さんにしたいと思っていただけでなく、それを口に出していた自分に苦笑する。
 まあもっともその言葉を少し前まで、ランスロットに想いを告げるほんの少し前まで。ヴェインは忘れてしまっていたのだけど。
 ……思い出せて、その切っ掛けがあって良かった。
 あの出来事がなければ、今こんなふうにランスロットが隣で寝息を立てている幸せはなかったかも知れない。
 あ、そうだ。
 半年前に買ったまま渡す機会を伺っていたものを彼に渡すなら今なのではと思いつき、静かにベッドを出て。
 寝室の机の鍵付きの引き出し。そこでずっと眠っていた小さな箱をヴェインは取り出した。
 よく寝てるからこのくらいじゃ起きないよな?
 ランスロットの腕をそっと取って、ヴェインはその左薬指に箱の中身を飾り。ランスロットが目覚めないのを確認して小さく息を吐く。
 良かった、サイズも大丈夫だ。
 肌の色に映えるのは金、でもランスロットのイメージからすると銀、と散々悩んで店の人を少し困らせてしまった末に選んだのは結局銀色のシンプルなリングだ。
 剣を握るにしては細く白い指に光る銀色を満足気に眺める。暫くランスロットの寝顔と指輪を交互に眺めていたが、朝食の用意をするために立ち上がり、ふと視界に壁掛けのカレンダーが飛び込んできた。
 今は六月。由来は詳しくは知らないが、六月の花嫁は幸せになれるのだという。
 そう言えば俺がランちゃんとあの時に見た結婚式も確か、六月だったな。
 お嫁さんになってと言ったのもその時だ。
 思い出せたことに改めて幸運を感じつつ、キッチンへと向かったヴェインはランスロットのための朝食、甘党な彼のためにパンケーキを作る準備をしながら。
 彼が目覚めたら指輪の存在とともに伝える言葉、その内容をまとめて、それから。
 自分が忘れていた彼への言葉を取り戻した日に心を馳せた。

 なんか今日、いつもとちょっと様子ちがうよな?
 昨日は非番だったため、昨日城で起こった出来事をヴェインは把握していない。しかしどうも衛兵やメイドたちが普段より少し騒がしい気がする。
 午前中は部下の鍛錬に付き合い、ランスロットに頼まれていた資料を部下からの報告書とともに手にして団長の執務室の元へ向かい始めた頃にはすでに夕方になっていた。
 執務室の少し手前で、いつもは静かにそれぞれの持ち場で仕事をこなしているはずの古株のメイド数人が固まって話しているのが目に入り、ヴェインは足を止めて彼女たちに声を掛ける。
 数日前から他国の姫がこの城にお忍びで遊びに来ていることは、城に勤める者には周知の事実だが、姫の訪問初日、城内は特に何事もなく平和だった。
「なあ、なんかあったのか?」
「あ、ヴェイン様」
 俺昨日は非番だったから、と告げると。
 メイド達の中で一番年上の女性がその顔に憂いを帯びて昨日の城の様子を伝えてくれた。
「っ」
 そしてその内容はヴェインにとっても衝撃的なものだった。だが。
「まあ流石にそんなこと陛下が許さないだろ~ランちゃんは執政官も兼ねてるんだし」
「そう、ですよね……ランスロット様がこの国から居なくなるなんてありえませんよね」
 明るく告げるヴェインに彼女たちも幾分安心したようで、頭を下げてそれぞれの持場に戻って行った。
 ……ランちゃんが他国のお姫様に婿として求められてる?
 メイドから聞いた内容を反芻する。
 他国の姫の滞在の理由がランスロットにあるとは思っても居なかった。
 ランスロットがこの国を離れるとは思えないし、陛下も当然反対するだろう。だがもし。ランスロットが自身の身と他国から与えられる利益を秤にかけて、与えられる利益のほうが大きいと判断した場合、ランスロットは行ってしまうかもしれない。彼にはそういうところがある。
 ……ランちゃんのお嫁さんと子供を見たいって思ってはいたけど。
 それをランスロットに面と向かって言ったこともあるけれど。
 それはあくまで彼がこの国に居て、自分が彼のそばで彼を支え続けることを前提として、だ。
 他国への婿入りとなればその前提は多分崩れてしまう。
 自分の知らないところで自分の知らない人達に囲まれて家庭を持つランスロットを想像して、ヴェインは自身の心が暗く軋むのを感じた。そして、ずっと胸の奥にしまいこんでいた何かが、忘れていた何かが、おぼろげにその形を取り戻していくような気がした。
 まだそれの正体はわからなかったけれど。

「ランちゃん」
 団長用の執務室のドアをノックするが返事がない。だが中に気配は感じたから、ヴェインは入るぜ~と少し大きめな声で告げてからドアを開けた。
「ランちゃん?」
 書類が積み上げられた机の前に彼の姿はない。だがその理由はすぐにわかった。
 奥のドアが小さく音を立てて、そこからランスロットが姿を現す。ランスロットが出てきたドアの向こうは、簡素なシャワー室になっていて、ヴェインも何度か遠征帰りなどに使わせてもらったことがあった。
「ああ、ヴェインか」
「っ」
「ヴェイン?」
 薄手のバスローブ一枚しか纏っていないランスロットの姿に、ヴェインの心臓が跳ねる。ローブは羽織っただけで前は止めておらず、細身だが戦うための無駄のない筋肉がついた腹がほとんど顕になっていた。彼の裸など何度も見たことあるし、その体に性的な欲求を覚えてこともない。……はずだった。 
 ……違う。俺は忘れてたんだ。
 まだ自分も彼も、未熟な子供だった頃。
 同じようにシャワーを浴びたばかりのランスロットに、今日と違って服はしっかり着ていたが、乾ききっていない髪から落ちた雫が彼の首筋を伝う様子に。確かに不埒な感情を抱いたことがあった。その時はその不埒な感情が何かわからないほど心も体も幼かったけれど。今になってそれが何かとはっきり自覚した。
 ああ、そうか。
 胸の奥にしまいこんでいたおぼろげななにか。それは。
 ランスロットへの恋情、だった。
 ランスロットが手の届かない所へいってしまうかもしれないと想像して。仕舞い込んでいたそれにヒビが入って、表に出てきてしまったのだ。
「ヴェイン?」
 動かないヴェインにランスロットが歩み寄ってくる。
 ああ、これもあの時と一緒だ。
 あの時の彼はこの後どういう行動をとったっけ。
 封じていた記憶を思い返して、はっとする。
 もしかしたら、自分のこの感情は隠さなくても、押し潰さなくてもいいのかもしれない。
 ランスロットの白い手が伸ばされるのが視界に入って、ヴェインはその手首を軽く掴んだ。
「ランちゃん、こんな時間にシャワー浴びてるってことはなにか席が?」
「ああ……お前も多分事の次第は聞いてると思うが」
 噂の姫にはすでに断りを入れていて、姫も了解済みだが最後に思い出が欲しいと彼女と踊ることを求められ、これからその席に向かうことが告げられる。
 縁談はすでに断っていることを知れて、ヴェインは心底安堵した。
「ランちゃん、終わったら俺の部屋に来てほしいんだけど」
 話があるんだ、と真っ直ぐに見つめて伝えると。
 ランスロットはわかったと頷いてくれた。

「……」
 すでに外は闇に染まりその闇を月が照らしているがランスロットが訪れる様子はまだない。
 自室のベッドに寝転んで、ヴェインは「あの日」のことを思い返していた。
 ランスロットの部屋を訪れ、彼の姿を瞳に映した瞬間。
 自分の感情を処理できずに立ち尽くしていたヴェインをランスロットは抱きかかえて頭をなでてくれた。それでも俯いてなにも言わないヴェインにランスロットは外に遊びに行こうかと告げて、彼に抱きかかえられたまま外に出た。
 ランスロットの首元に顔を埋めたまま移動しているとなんだか周囲が少し騒がしくなって顔をあげると、普段は静かな教会に人が集まっていて。それが何かをランスロットに尋ねて。自分たちもいつかそうなりたいと、彼に約束を告げて。彼も笑って頷いてくれた。けれど。
 嬉しくてたまらなくてそれを祖母にも報告した時、優しい祖母の口から出たのは、それは無理だよという少し困ったような言葉だった。祖母は嘘をつかない。だから彼とそうなるのは無理なのだと知って、幼かったヴェインはわんわん泣いて、そして。こんなに悲しくなるのならこんな想いは、約束は忘れてしまおうと思った。
 でもまた思い出してしまった。そして思い出してしまった以上、もう気持ちを誤魔化したくなかった。
 あの時、ランちゃんの返事も一緒に伝えてれば……。
 祖母の言葉も、もっと違ったものになっていたかも知れない。

 小さくノックの音がして、それに続いてヴェインと呼ぶ声が響く。
 ドアを開けると、そこには盛装姿のままのランスロットが立っていた。おそらく件の姫の気が済むまで付き合わされたのだろう、彼の顔には疲労の色が濃い。
 ヴェインの家にランスロットが泊まることは度々あり、私服も何枚か置いたままになっていたからそれを出す。彼が着替えている間、ヴェインは夕食用に少し多めに作ったスープを温め直した。
「……それでヴェイン、話って?」
 着替えを終え、マグカップに入ったスープを飲み干したランスロットの顔色は幾分良くなっている。
 彼が自分を見上げるようになったのはいつの頃だったか。彼の身長をヴェインが抜いてから、もう数年は経っているのは確かだ。
「ヴェイン?」
 ランスロットの頬を両手で包み、その青い瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。
「ランスロット」
 いつもと違う呼び方に、ランスロットの肩が小さく揺れた。
「俺は……」
 親友として幼馴染として、そして家族としてお前が好きなんだって思ってた。でも、今回のことでもしお前が俺の傍から居なくなったらって想像して。そして気付いたんだ。
 俺の好きはそれだけじゃないって。
 だから。
「……ヴェインっ」
「!」
 ヴェインの腕の中に収まったランスロットは笑んでいて、でもその瞳には涙が滲んでいて。すがるように自分の背に回された彼の手に、気丈な彼らしくない弱々しい仕草に、確信する。
 ランちゃんやっぱり、覚えてたんだな。俺のあの拙い言葉を。そして待っていてくれた。なのに。
 ランちゃんのお嫁さんと子供みたいななんて声を掛けて、どれだけ彼を傷付けたのだろうか。
 ……でも、もう間違えねーから。
「ランちゃん」
 頬を包んでいた手を少しずらして、指でランスロットの艶のある小さな唇に触れて。そして。
 ゆっくりとそこに自分の唇を近付けた。

「ヴェイン、ヴェインどうしたんだ?」
 いつもなら自分の姿を見ると笑顔を浮かべるのに、その日部屋に訪れた彼はランスロットの姿を見るなり俯いて動かなくなってしまった。心配になって側に近寄り抱き上げると、その小さな手はやや戸惑いがちにランスロットの首筋に回った。少し体が熱い気もするが、おでこ同士をくっつけて測った限り、熱があるわけではなさそうだ。ならば外に連れて行ってもいいだろう。

 教会に差し掛かった時、ヴェインが顔を上げた。
「ランちゃん、あれはなあに?」
「ああ、あれは結婚式だ」
「けっこん?」
「好きあった二人がこれからずっと一緒に寄り添って生きていくための儀式、みたいなもんかな」
 ずっと俯いていたヴェインが顔を上げてくれたのが嬉しくて、ランスロットは彼の興味を引き続けるために言葉を続ける。
「花嫁はヴェインも知ってるだろ」
 花婿に横抱きにされて幸せそうに微笑んでいるのは、ランスロットとヴェインの暮らす村のやや奥にある花屋の一人娘で、ヴェインは彼女によく懐いていた。もしかしたらこの状況はヴェインには辛かったのではないかと少し心配になったランスロットだが。当のヴェインはすでに花嫁から視線を離してランスロットを見つめていた。
「ねえランちゃん」
「ん?」
「俺がランちゃんより大きくなって、あんなふうにランちゃんのこと抱っこできるようになったら」
 ……ランちゃん俺のお嫁さんになってくれる?
 思いがけない言葉に驚いたが、嫌ではなかった。他の連中から言われたならふざけるなと殴りつけていたかも知れないが、ヴェインなら。打算も何もなくただ純粋に自分を好いてくれている彼の言葉だから嫌だとは感じなかった。
「そうだな、お前が俺より大きくなったら、なってやってもいいよ」
 返事に、ヴェインの顔がぱあと明るくなった。
 それなのに。
 翌日ヴェインは泣き明かしたのかその緑の瞳を赤く染めていて。さらに。
 昨日ランスロットに告げた言葉を覚えていなかった。
 ただ目が赤い以外はいつものヴェインだったから、ランスロットも昨日の言葉は様子の可笑しかった彼の発した言葉だったのだと忘れようと思ったし、実際その後その約束はランスロットの記憶の中でも薄れていった。
……はずだった。


「俺ランちゃんのお嫁さん見たいし、ランちゃんの子供はもっと見たいな」
 持ち込まれた見合い話の束を前にため息を吐いていたランスロットの耳に、そんなヴェインの声が降ってきて。彼にとっては何気ない言葉だったろう。けれど。
 その言葉を聞いた瞬間、ランスロットの耳に幼いヴェインの声が甦る。
 同時に。
 ヴェインが自分の背を抜いてから、どうにもそわそわしていた己の気持ちの理由を悟った。
 もっとも、ヴェイン自身は本当にもう完全にあの約束は忘れ去っているということもはっきりと突き付けられたのだけれど。

「……」
 ヴェインに書類を届ける用を言い渡して、彼を部屋から出すように仕向ける。急ぎの書類ではなかったが、今は彼にこの部屋に居てほしくなかった。
 幼馴染の背中を見送ってから、ドアに鍵をかけて仮眠用の部屋に向かう。
 仮眠室の鍵もかけて、ランスロットはベッドにどさりと身を投げた。
 じわりと、我慢していた涙が滲んで、それはやがて耐えきれない奔流となって頬を濡らす。
 その理由が、初めはよく分からなかった。
 ……どうして。
 自分の心がこんなにも傷んでいる理由、それを分析して。
 ああ、そうか……。
 ランスロットは自分の『恋』をようやく理解した。
「っ」
 幼いヴェインとの約束、それをどこか拠り所にしていたのだ。自分は忘れたのではなく普段は引き出さない記憶の棚の底に大事に仕舞っていて。そして、いつか彼が思い出すことを望んでいた。
 その想いを。幼いヴェインが告げた言葉を今のヴェインが完全に無にしてしまった日。
 ランスロットの仄かな、しかしずっと心に根付いていた恋が。
 完全に砕けてしまった日。
 ランスロットは涙とともに自分の抱えていた想いも洗い流してしまえたらいいと、ただ静かに涙を流し続けた。

 ヴェインはああ言ったが……。
 ひとしきり泣いて、心は幾分軽くなっている。
 ヴェインの望みは叶えられない。
 イザベラから監禁されていた時のこともあって、ランスロットは女性に対して少し苦手意識を持つようになっていて。それでなくとも以前から近付いてくる女性は押しが強く、そんな彼女たちと家庭を築きたいとは思えなかった。
 けれどヴェインには。
 暖かい、幸せな家庭を築いて欲しい。彼にはそれが可能だろう。伴侶となった相手を大事にするだろうし、幸せにできるはずだ。
 そのためには。
 彼の妻やその子供が穏やかに暮らしていくためには。
 この国をより良くしていかなければ。幸い自分はそのために尽力することのできる立場にある。
「ふふ」
 彼とまだ見ぬ彼の伴侶となる女性を想像する。胸に走る痛みはあるが、同時にその光景を、彼の血の引く子供を見たいという気持ちを強く持つ。そして彼の子の成長に、少しでいい、自分が関わっていけたら、と。これは多分ヴェインが自分に向けている感情とほぼ同じだろう。恋は叶わなくとも、同じ感情を今共有しているのだと思うと少し嬉しい。
 ……失恋で体調を崩すくらいのほうが可愛げはあるのかも知れないが。
 涙を流しきったあとのランスロットの心と体は丈夫で、そして前向きだった。

「あ、ムートっそっちに行ってもいいけどランちゃん起こすなよっ」
 ぼんやりとした意識の向こうでヴェインのいつもより抑えた声が響いて、緩く目を開けると。少しだけ開いていたドアの隙間から猫が走り寄ってくる。
以前ヴェインが拾った子猫は騎士団や城の皆にも気に入られ、普段は城で飼っているがヴェインとランスロット二人共が非番のときはヴェインが家に連れて帰っていた。
「ムート?……!」
 ああ、そうか。あれはもう過去のことで。昨夜、自分とヴェインは繋がったのだ、恋人として最後まで。
 混濁していた意識が段々とはっきりとしてくる。
 微かに部屋に漂ってくる甘い匂いの原因はヴェインが作った朝食だろう。
 恋人としての関係を親友、幼馴染の関係に付け加えてそれなりに恋人としての触れ合いも行ってきたが、ヴェインは最後の一線はなかなか越えようとせず、それに不安を覚えつつ無理しなくてもいいんだぞ?やっぱり男相手じゃダメだったんじゃないか?と伝えたのは昨夜で。彼はすごい勢いで首を左右に振ってランスロットの言葉を否定して。そして躊躇していた理由を教えてくれた。
 ランスロットの体を気遣う故に最後まで手を出せなかったというヴェインに、俺はそんなにやわに出来ていないと伝えて。昨晩初めて彼をこの身に最後まで受け入れたのだった。受け入れるときに痛みは確かにあって、今もまだ体は重いが、このだるさはヴェインと繋がった証なのだと思うと嫌ではなかった。
 ベッドに飛び乗ってきた猫はやたらとランスロットの左手にちょっかいを出してきて。僅かな違和感を覚えたそこに視線を向けて目を見開く。
「……」
 視線を向けた先、左薬指には朝日を受けてきらりとシンプルなリングが光っていた。
「あーランちゃん起こすなって言ったのに」
 ヴェインが部屋に戻ってくると。そして。
「ランちゃんちょっとこっち」
「ヴェイン?」
 近付いてきたヴェインは猫をベッドからおろし、ランスロットの体をシーツごと抱き上げる。軽々と抱えられたことには少し複雑な思いだが、あの約束を思うとくすぐったくもある。
 ヴェインが向かったのは寝室の窓、だった。
「ここからさ、まあ当然あの教会じゃないけど教会見えるんだぜ。ちょっと建物の雰囲気も似てるだろ?」
「!」 
 半分だけ開けられたカーテン、その窓の向こうには確かにあの日幼いふたりが結婚式を目撃した教会によく似た建物が存在していた。
「家を探してる時さ、窓からあの教会見た時に絶対ここがいいってなってそれで決めて。その時はなんでそう思ったのか分からなかったんだけど。ランちゃんと約束した教会に似てたから、なんだよな」
 城からやや遠い場所にヴェインが家を決めた理由を今初めてランスロットは聞いた。
「俺さ、あの日家に帰ってさ」
 祖母にランスロットへ告げた言葉をヴェインは伝えたのだという。
「んで無理だよって言われてすっげえ泣いてさ。あの時なんでランちゃんの返事は伝えなかったのかなって思ったんだけどそれは多分」
 ランちゃんは俺を傷付けないための嘘はつくかもしれないって思ったからなんだろうなって。
「ヴェイン俺はっ」
「うん、もう知ってるぜ。ランちゃんのあの言葉は嘘なんかじゃないってことは」
 ランスロットの左薬指にある金属をそっと指で辿りながらヴェインが言葉を紡ぐ。
「ランスロット、俺さ。ずっとお前の力になりたいって、お前の隣に立ちたいって、約束は忘れててもずっとそう考えてそのために努力してきて。今はその力、多分あると思うんだ」
 でもランちゃんは親友としての、幼馴染の俺にはさ、護るものって意識が強くて無条件じゃ頼りにくいかなって。だから。
「俺をランちゃんの旦那さんにしてください」
 俺とランちゃんの関係に新しい名前をください。
 幼い頃の彼より下手に出た言葉にくすりと笑う。いや言葉的には下手だが、今の彼はきっと拒否されることがないと分かっているのだろう。
「……俺はもう返事はとっくにしてるはずだぞ?」
 幼かったあの日、ヴェインに確かに伝えたのだ。その気持はずっと変わっていない。
「しかし家事は殆どできない嫁だけどな」
「そこは俺が得意だからいーのっ俺ランちゃんのお世話するの好きだし」
「じゃあ俺はたまにこんなお返しでもすればいいのか?」
「っ」
 シーツに包まれた肌は昨夜の名残で何も身に着けていない。ランスロットは自らの腕のヴェインの首に緩やかに絡ませて。自分より厚く大きな彼の唇の端を舌でぺろと舐める。
「ら、ランちゃんっ」
 昨夜は初めてだということもあり、ヴェインにすべてを任せる形だったが、自分からも行動を起こすほうが性に合っている。それに自らの言葉や仕草でヴェインがその表情を変えるのを見るのはとても楽しい。
 かあを顔を赤く染めたヴェインの姿を視界に収めたランスロットは満足げに笑みを浮かべて。
「よろしくな、旦那様」
 関係性、その名目を新たに増やした幼馴染の耳元に囁いた。

 ヴェインの手に力と熱が籠もったのがわかり、ベッドに逆戻りする可能性が高いなと感じたが。
 自業自得でもあるし、それが嫌だとももちろん思わない。
 この後ベッドで再び体を繋ごうと、何事もなかったように朝食をとろうと。

 どちらもただ緩やかな幸福に包まれるのは確か、だった。

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