好きな子が細すぎて壊しそうなので太らせたいんだが
「……」
大広間から聞こえてくる華やかな音楽、それに人々の話し声に、心の内だけでアルベールは深く息を吐く。行われているのは先日の反乱を退けた騎士団の功績を称える夜会。そしてアルベールはこの国の騎士団長。夜会の主役とも言える身で、参加は必須だった。
(……余りこういう場は得意じゃない)
酒は嫌いではないが、大勢で飲むより一人か、心を許せる友人たちと静かに飲みたい派だ。もっとも今の自分に心を許せる友人というのは居ないに等しいのだが。
宴は既に始まっている。騎士団長という立場から遅れてくることを許されているが、遅れすぎるのは王の不興を買うかもしれない。
夜会で無駄な時間を過ごすよりは悩んでいる次の遠征の人員配置について考えたいと思いつつ、アルベールは重い足取りで大広間へと向かった。
(見たことのない令嬢が居るな)
騎士団長として挨拶を終えた後、目立たない隅の席でぶどう酒を煽っていたアルベールの視界に一人の女性が映る。最初の内は独身であるアルベールの妻の座を射止めたい女性たちに群がられていたが、彼女たちに失礼にならない程度にそっけない態度を取っていると、だんだんと近づく女性は減っていき。落ち着いた時間を過ごせるようになっていた。
ややくすんだ、薄紅色の薔薇のような長い髪を真珠の髪飾りでハーフアップにした細身の女性。彼女はアルベールに競うように近寄ってきた人々の中には居なかった。露出の少ないシンプルなドレスを身に着けているが、その生地はとても高価そうで、おそらく高位の貴族令嬢だろう。
彼女の傍には侍女が一人ついているようだったが、その侍女が主である彼女に向ける視線はあまり好意的には見えなくて、それが少し気になった。やや垂れ目がちの、整った顔の令嬢だと思う。けれど彼女の周りには侍女以外の人が居ない。高位貴族の令嬢となれば年頃の令息に囲まれていても可笑しくないのに。
「団長」
近くに居た団員から声を掛けられ、アルベールの意識は女性から逸れる。団員との会話を終え視線を戻した時には、彼女の姿は既に宴の会場から消えていた。
「俺は少しやることがあるから先に戻る」
お前達も飲みすぎないようにしろよ、と団員たちに釘を刺し立ち上がる。
騎士団長として与えられている部屋に戻り、暫く机の上で遠征の資料を眺めていたがどうも思考がまとまらず。気分転換でもするかと中庭へと向かった。外でならいい考えが浮かぶかもしれないと、資料も抱えて。
(あれは)
中庭のベンチの前には、先程の女性が立っていた。宴の会場では気付かなかったがヒューマンの女性としては随分と背が高い。
(俺より少し高い、か?)
普段女性に興味を示すことなど滅多に無いのだが、何故か彼女のことは気になり、アルベールはゆっくりと近寄っていた。
「こんばんは」
声を掛けると彼女が振り返る。誰かが近付いていることは気付いていたのだろう。振り返る際の彼女に驚いた様子はなかったのだが、アルベールの姿を認識したその瞳は、なぜかパチパチと大きく瞬いていた。
女性が軽く頭を下げる。何か彼女が言葉を返してくれることを期待していたのだが、薄く紅が引かれたその唇は閉ざされている。
「……」
アルベールとしても声を掛けたものの、その後何を話すかを考えていたわけではなく、二人の間には暫しの沈黙が落ちた。
アルベールが彼女に断りを入れてベンチの隅に腰掛けて資料を見つめていると。少し戸惑ったような雰囲気を滲ませた彼女が隣に腰を下ろす。すぐに去っていくかもしれないと思っていたから、その行動はアルベールにとって意外、だった。
「?」
彼女の視線は遠慮がちにだが、アルベールの持つ資料に注がれている。特に機密文書などではなかったから、見やすいように向けると。
彼女が細い指で二つの文章を交差させる。どうやらその箇所を入れ替えることを示唆しているようだ。そしてそれは。
「!」
完全にではないがアルベールの悩みを大きく解決するもの、だった。
「有難う!」
思わず隣の女性の手を握ると。びくりと彼女の体が跳ねる。
「あ、申し訳ない」
貴族の未婚女性の手を恋人や婚約者でもない異性が握るなど、余り褒められた行動ではない。
だが女性の顔には不快感は浮かんで居なくて、それに安堵する。彼女は小さく首を振った後、緩やかに微笑んで。
その笑みはアルベールの瞳に強く焼き付いた。
「アルベール様にお話が」
翌朝そう言ってきたのは宴で彼女の傍に居た侍女。アルベールも彼女のことが知りたかったので丁度良かった。
昨夜アルベールは生まれて初めて、瞼の裏に女性の姿、特にあの笑みがちらついて眠れないという経験をした。恋などというものに今まで無縁だったが、流石に今抱えている感情がそれと分かる程度には歳を重ねている。昨夜ほんの少しの時間を共有しただけの相手にこんな気持を抱くのは不思議だったが、恋とは落ちるものらしいので可笑しくはないのだろう。
「あの、アルベール様はご存知ないのですか? 昨夜、私の傍に居た人物の正体を」
侍女の言葉には何故か彼女への嫌悪が滲んでいる気がして、首を傾げる。
「あの人は……」
続いた言葉にアルベールは平静を装いながらも内心では驚いていた。
侍女の告げた存在は知ってはいた。けれど昨夜の姿からは全く結びつかなかったのだ。
王の落胤。女官との間に生まれた子供。王の正式な相手が子を生むより早く生まれてしまったために疎まれている存在。そしてそれだけではなく、侍女はもうひとつ衝撃的な事実を告げてきた。王に女性として過ごすことを強要されている『長男』なのだと。
(声が出ないのだと思っていたが……話したら男だとわかるから話さなかったのか)
彼女、正確には彼の名前はユリウス。侍女が何を思ってユリウスの性別を告げたのかはわからない。けれど。
彼の正体を知っても、アルベールが抱えた感情は消えることはなかった。
(……まずは気持ちを伝えて)
湯船に浸かりながら、考える。受け入れてもらえたら何をしたいかを。
騎士団の大浴場は遅い時間ということもあり、入浴しているのはアルベールだけ。
「細かった、な」
まだ告白もしていないのに先走りすぎていると分かっているが。アルベールの胸の内には強い思いが浮かんでいていた。
あの細い身体を、太らせたいという。
何故なら。もし想いを受けいれてもらえて、彼との交流を深め、彼と深く触れ合った際。
(あの細さではきっと、壊してしまう……!)
自身の下半身に視線を送り、アルベールは深く大きく溜息を零す。
(いや全てはまず想いを伝えてからだが)
自分の考えが遙か先を思って暴走しているのに苦笑しながら。
アルベールはユリウスにまずは菓子でも贈ってみようと決めた。貴族令嬢として生活しているならいきなりの告白は引かれる可能性が高い。順序を踏んだほうが良いだろう。
非番の日。アルベールはユリウスの住む家の前に立っていた。
最初は菓子を配送してもらうことを考えたのだが、送り主の名を見てそれが知らない相手だと判断されたら捨てられてもおかしくないと思い至り、やはり直接渡すことにしたのだ。
ユリウスの住む家は王都の外れにある、公爵家の持つ建物の一つ。あまり大きくはなく、そしてかなり古いこの屋敷に、ユリウスは僅かな使用人とともに暮らしていると貴族の団員に聞いていた。
(その割には庭が整っているな)
花壇には色とりどりの花が瑞々しく咲き誇っていて、しっかり手入れされていることを示している。
少し緊張しながら、アルベールはドアノッカーに手を掛けた。今回の訪問は一応、この前の遠征の問題解決に対しての礼という建前がある。彼の菓子の好みは分からなかったが、見た目が美しく、また甘さの程度も色々と選べるチョコレートをお礼兼手土産として持ってきた。
ノッカーの音に応え扉を開けたのはあの侍女。アルベールの姿を見ると呆然として「何故」と呟いている。けれどすぐに表情を取り繕い、アルベールに用件を聞いてきた。ユリウスに礼をしたい旨を伝えると、侍女は一瞬怪訝な顔をしたものの、家へ招き入れてくれた。そしてこちらです、と案内される。客間ではなく奥の部屋の扉の前に辿り着き、困惑していると。侍女が小声で中へどうぞ、と促してきたから。
アルベールは一応ノックをしてから、けれど誰かがいるとは思わずに返事を待たずドアを開けた。
「!?」
瞬間、視界に飛び込んできたのは白い肌。ユリウスがアルベールに背を向けた状態でほぼ裸になっている。どうやら風呂から上がった後、バスローブから普段着に着替えている最中のようだった。全体的に細く、けれど尻だけは豊かな丸みをもった裸体が目の前に晒されている。
早く目をそらしてこの場から出ていかなければと思うのに、体が動かない。
「なにかあったのか?……!?」
ユリウスは入ってきたのは侍女だと思っていたのか、こちらを振り向いた身体が硬直する。彼の腕からブラウスが滑り落ちたのを見てアルベールはようやく。
「失礼した!」
部屋の外へ向かい身を翻し、ドアを閉めた。
どくりどくりとまだ跳ねる心臓の上に音を押さえつけるように右手を置き、初めて聞いたユリウスの声を反芻する。
容姿から想像していたより幾分低い声だったが、その艶のある低音はアルベールの耳に心地好く響いていた。
「それで?」
改めて客間と思わしき場所でユリウスと対面する。彼は袖をレースで彩られたブラウスと、裾の広がったスカートを身に着けていた。普段から本当に女性として過ごしているようだ。
「この前の礼をしたくて」
そう告げてチョコレートの箱を差し出すと、ユリウスがきょとんとした表情を浮かべた。幼くも見えるその顔をもっと見ていたいと思ったが、彼の顔はすぐに硬い感情を浮かべたそれに変わってしまう。
「あんな些細な指摘の礼に尋ねてくるなど、王のお気に入りの騎士団長殿は礼儀正しいことで。……これは一応受け取るが茶を飲み終わったら帰ってくれたまえ」
(……ここでそのまま帰ったら、二度と会ってくれないような気がする……)
王の落胤として女性としての暮らしを余儀なくされている彼にとって、王に目に掛けられている己の存在は歓迎すべきものではないのだろう。あの夜の指摘は気まぐれか、もしくはアルベールの名は知っていても、姿はよく知らなかったのかもしれない。あの夜、自分がユリウスを初めて見掛けたように。
「……また、来ても良いだろうか」
「何故?」
礼はもう受け取った、と告げるユリウスに。
アルベールは正直に気持ちを伝えた。
ユリウスに惹かれているのだ、と。流石に心の奥底に抱えている肉欲までは伝えなかったが。
「……侍女からも聞いただろうし、私が男なのは分かっているだろう?」
だから私も声を出して話しているのだし。
「それは勿論分かっているが」
答えると、ユリウスからなにか未知の生物を見るような視線が返ってきた。
「……私の性別も立場も知っていてその気持ちを持つと?」
ぼそりと呟かれた言葉に強く頷く。
素直な気持ちだったが、同時にそうしないともう会えなくなる予感があっての行動だった。
「騎士団長殿は随分と物好きなようだ」
呆れた声音とは裏腹に、ユリウスの唇には柔らかい笑みが浮かんでいて。
今日のその笑みもまたアルベールの瞳に焼き付いた。
「私は君のことを何も知らない。表面上のことは、君が王の信頼の厚い騎士団長だとは知っているがそれだけだ」
「だったらまず友として一緒に過ごす時間を取って欲しい」
アルベールの提案にユリウスは戸惑いを滲ませながらも頷いてくれて。それから友人としての交流を続けている。
非番の日にアルベールはユリウスの家を訪ね、彼との時間を過ごす。そして今日はその非番の日。
アルベールはいつものように菓子を携えてユリウスの家を訪ねた。出迎えてくれるのはユリウス自身。アルベールにユリウスのことを告げた侍女や他の女中も、いつの間にか彼の家から居なくなっていた。元から余り必要としていなかったから、とユリウスは言っていて。その言葉の通り彼は一通りのことは自分でできるようで今も紅茶を淹れてくれている。客間の窓から見える小さな庭も、相変わらず美しく整ったままだ。
「君、甘い物好きじゃないのに手土産はいつも甘味なんだな」
向かいのソファに座ったユリウスが小皿に乗せられた今日の手土産を見つめながら呟く。
それはユリウスに太ってほしいから、とは口に出せずに曖昧に笑んだ。けれどその甲斐あってか、以前よりユリウスの頬はふっくらしてきている気がする。
「あまり太るのは困るんだ……ドレスが入らなくなってしまう」
「……その、俺が聞いて良いことじゃないかもしれないが……ずっと女性として過ごすのか?」
今日の土産のクッキーをユリウスが一枚だけ口に入れて手を止めてしまった様子を残念に思いながら疑問を音にする。アルベールと二人きりのこの空間でもユリウスが身に付けているのは女性用の服だ。
「……中身が男でもいいという変態貴族に売りつけられる予定からね。だから身体も女性としておかしくない程度に保つようにと言われている」
「なっ」
「君と出会うまで食事も最低限しか取っていなかったから知らなかったんだが、私はどうも太りやすい体質のようでね」
アルベールの動揺など気にせずにユリウスが言葉を紡ぐ。
「君との時間は楽しかったよ。私には友と呼べる存在は今まで居なかったから。でも、それもそろそろ終わりにしなければならないようだ」
一ヶ月後にね、小金持ちの伯爵家の別邸に入る予定なんだ。何人目かの愛人としてね。
「だめだ!!」
強い口調で告げるとユリウスがきょとんとする。何故そんな不思議なそうな顔をするのかとアルベールは思う。自分はユリウスが好きだと伝えているはずなのに。
ソファから立ち上がり、ユリウスに近付いて、その体を抱き上げる。初めて会った日よりは少しだけ肉付きは良くなったが、まだまだ細すぎる、頼りない身体だ。
「アルベール?」
「……ユリウス、騎士団に来て欲しい」
「……それは同情かい?」
「違う!……その、俺はお前が好きだから下心がゼロだとは言えないんだが、同情などではなくお前の頭脳が騎士団に欲しい」
ユリウスと話していて、彼の頭の良さは随所に感じていた。今の騎士団には高度な頭脳戦を展開できるような参謀的存在は居ない。だから下心があるとは言え彼を騎士団に迎え入れたい気持ちは本当で、決して同情などではない。
ユリウスを見やると。
「?」
彼は今までになく大きく瞳を見開いていた。今の言葉になにか驚く部分があっただろうかとアルベールが不思議に思っていると。
「……君、私が好きだというあれも本当だったのかい?」
「!?」
己の気持ちを信じていなかったと言われ、今度はこちらが驚く番だった。
「私だって最初から疑っていたわけじゃない。だが君は何もしなかったじゃないか。今までそれなりにそういう雰囲気になったことはあるだろう? そういう時に全く手を出してこないから……君と友人として過ごす時間は心地よかったから今まで敢えて言わなかったけれど」
「……俺がお前に手を出さなかったのには理由がある……」
何度かキスしたいと思ったことは、その機会はあった。この家に来るのは友人としてだが、その境を越えることをユリウスが許してくれていると感じる時間は確かにあった。けれどキスだけで止まれる自信がなくて。そうすると今の細身の体力のなさそうな彼を壊してしまいそうな予感があり。だから触れたいという欲を無理矢理に押し留めていた。
「その理由は私が騎士団に行けば聞けるのかい?」
「……俺の心を受け入れてくれるなら」
「……私の行く先はまだ何も決まっていない」
「え?」
「……試すような真似をして悪かった。失望したかい?」
俯いて前髪で表情の隠れたユリウスがぽつりと呟き。それを受けたアルベールは。
「いやむしろ安心した……本当に」
心底安堵を滲ませた声を吐き出した。
「可笑しくはないかい?」
いつものようにアルベールを迎えてくれたユリウスは、男物の服を身に着けていた。少し大きく袖や太腿が余っていたが、むしろその服がぴったりになるくらいは太って欲しいと思いつつ。アルベールはドレスよりそっちのほうが似合っていると告げると。分かりづらくはあったがユリウスが仄かに笑った。
今日からユリウスは騎士団の一員として暮らす。後から露見して咎められるよりは、と王にも正直に伝えていて。王は僅かに苦い顔をしていたがユリウスを騎士団に迎えたいというアルベールの求めを却下することはなかった。ユリウスはどちらにせよ厄介払いが出来のは変わらないと思ったんではないのかい? と自嘲気味に零していた。
城の中には騎士団員用の宿舎もある。非番の日以外はアルベールも泊まっていると告げると、ユリウスはでは私もそうしようと返ってきて。それは彼と過ごす時間が増えることに繋がるから嬉しかった。ユリウスもそんな想いを抱いていてくれれば更に喜ばしいのだが。
家から出る際、庭に続く短い階段の前で手を差し出しかけて止まる。今まで二人で外出したことはなかったが、庭は何度か散歩していた。その際アルベールはユリウスに手を差し出しエスコートしていたのだが、今日の彼はスカートでもドレスでもない。男性として過ごす彼にはエスコートは必要ないだろう。けれどその手に触れられないのは少し物足りない。
「手を繋いでもいいか?」
「通りに出るまでなら構わないよ」
返ってきた返事を受け、アルベールはユリウスの手をそっと握った。通りは直ぐ側だからほんの僅かな時間しか彼の体温を感じられないが、それでも全く触れられないよりは良かった。
「そろそろ理由を教えてくれも良いんじゃないかい?」
ユリウスが騎士団員となって一ヶ月ほど経った頃、アルベールが寝泊まりしている部屋を訪れた彼が少し拗ねたようにも見える表情で漏らす。拗ねていると指摘しても認めはしないだろうが。
相変わらず菓子を贈り続け、また休みが重なった日は食事に連れ出している甲斐もあり。以前よりだいぶ肉付きは良くなったが、それでもまだアルベールの憂いは無くならない程度に細い。
ユリウスは騎士団の中で後方支援の中心人物としての地位を確立していた。最初の内は反発する人物も居たが、ユリウスの頭脳は騎士団に必要なものだと今は皆納得している。
一ヶ月間何も言ってこなかったのは、彼が騎士団員としての生活を忙しくこなしていたからだろう。
「……ユリウスは大浴場に行ったことは?」
疑問符を浮かべた顔で、ユリウスは首を横に振る。今まで女性として過ごしていたのだ。大勢の男性と一緒に入浴というのは抵抗があるのかもしれない。寝泊まりする場所として与えられる部屋には小さな風呂はついているから、大浴場を利用しなくても問題はないのだが。
「大浴場じゃなくても、部屋の風呂で良いんだが……俺と一緒に入ってくれないか?」
「……そうすれば理由を教えてくれるのかい?」
「ああ」
(理由、というよりは多分見てもらえばそれで分かってもらえるとは思うが……)
返事に納得したのか、ユリウスはじゃあ夜に君の部屋を訪ねるよと言い残して去って行った。
「入るよ、親友殿」
ユリウスの声にああ、とアルベールは返す。
ユリウスには役職で飛ばれることが嫌で、それをある日の飲みで告げたところ、彼からからかうように返ってきた言葉が気に入り。それ以来その呼び方で呼んでもらっている。もちろん己がその呼び方を使うこともあるが、ユリウスと名を呼ぶことのほうが多い気がする。
アルベールは既に湯船に浸かってユリウスを待っている。二人で入れるほど大きな物ではないから、彼が入ってきたらアルベールは湯船から出て体を洗うことになるだろう。
遠慮がちに浴室の扉を開けたユリウスは、腰に綿布を巻いていた。長い髪は高い位置で結い上げられている。
ユリウスの視線がアルベールへと向けられ。アルベールは湯船からゆっくりと立ち上がる。
「っ」
アルベールは当然布など巻いていない。完全な裸だ。
ユリウスの視線が己の顔と下肢に交互に向けられた後。
「君、その顔でそれは詐欺だろう!! 着痩せするのは知っていたがそれはっ」
彼が叫ぶように零した内容は。言葉は全く同じではなく細かい差異はあるが、アルベールにとって聞き慣れたもの、だった。主に大浴場で、部下である騎士団員たちから。
(ここは?)
自分が寝泊まりしている部屋と似てはいるが、微妙に模様の違う天井がぼんやりとした視界に映し出され、ユリウスは疑問を覚えた。だがその疑問は。
(そう、か)
天井に向けていた視線を横に反らすことですぐに解決する。ベッドに横たわるユリウスのすぐ隣で、アルベールが寝息を立てていた。彼の姿を見て、自分がここで寝ている理由を思い出す。ここはアルベールの部屋で、ユリウスはその浴室で彼と触れ合っていたのだ。
(……あの程度のことで気を失うなんてねえ……)
想いを告げてきたくせに一向に触れてこないアルベールに焦れていたが、挿入どころか単に性器に触れ合っただけで意識を失ってしまうとなると、今まで触れてこなかった彼の判断は正しいと認めざるを得ない。女性として過ごしている時よりは幾分体力もついたつもりだったのだが、どうも自分は性的なことに関して普段より消耗してしまうようだ。それに、アルベールの下肢を見てしまった気疲れもあると思う。
隣で健やかな寝息を立てている整った顔、その頬を指先で軽くつつく。美意識の高い高位貴族の令嬢にも文句なしに美形だと言わしめるアルベールの下肢、その中心は。ユリウスが思わず声を上げてしまうほどの迫力を持っていた。女性として生きてきたユリウスは男性の裸などに遭遇する機会は滅多に無い。けれど医学書などに興味はあったから、成人男性の一般的なサイズがどのようなものかは一応知っていて。アルベールのものはそのサイズをかなり凌駕していた。
(私を選んだのは物好きだと思う気持ちは変わっていないが……)
もし一般的な令嬢と深くお付き合いした場合、あれを見た時点で破談になってしまう可能性もなきしもあらず、ではないのか。
(まあ女性の体のほうが受け入れやすくはあるだろうけれど)
「ん」
見つめていたアルベールの瞼がゆっくりと開く。
「……ユリウス。その、俺が手を出さなかった理由はわかっただろう?」
寝転んだまま顔をこちらに向けて呟く彼に、こくりと頷く。
太りやすい体質だと分かってから、アルベールと一緒の際以外控えめに食事をとってきた。あまり肉がついては物好きな彼の興味が自分から反れてしまうのではないかという想いからだったが、それどころか彼はユリウスに太って欲しいと思っているのだ。以前甘味の土産ばかり持ってくる理由を尋ねた時は答えを得られなかったけれど、今日ようやく分かった。
今より体格が良くなったとしても、身体の奥の造りはそう変わらないだろうから彼のものを受け入れる際には痛みを伴うだろう。けれど今の身体より体力はつくはず。今日のように気を失ってしまう事態も避けられる可能性は高い。
(……これ以上太れば今持っているドレスは着れなくなる)
戻りたいわけではないが、最低限生きるための場所と食事は保証されていた女性としての生活を送ることは難しくなる。
「……親友殿、アルベール。私はまだ今はギリギリ、持っている女性物のドレスが入るんだ。君の要望に応じて、入らなくなる責任はとってくれるんだろうね?」
アルベールは最初不思議そうにぱちぱちと目を瞬いていたが、どういう意味か分かったようで。
「当たり前だ!……その、俺はユリウスの身体を傷付けたくはないから、最後まで触れ合うのはまだ先になりそうだが。俺はユリウスにずっと側に居て欲しい。離れてほしくない……お前をあの場所から連れ出した責任は取る。お前を傷つけるものからは俺が守る。だから……離れないと約束してくれ」
多くの女性達を引き寄せるアルベールの整った顔、その瞳がユリウスだけを映している。その状況に心の奥でほんの少しだけ優越感を抱きながら、ユリウスは仕方がないねえ、と素直ではない返事とともに頷きを返した。
「ユリウス……親友殿。その、無理なら良いんだが」
食べれそうなら食事をしてくれないか、とアルベールが告げる。
まだ体は重く、食事をとるのも億劫だったが。
「君が食べさせてくれるなら考えよう」
「そうか! なにか作ってもらってくる」
ユリウスの返事にアルベールは笑顔を浮かべてベッドから跳ね起き、部屋の外に向かった。食堂で何かを作ってもらうのだろう。
すぐに戻ってきたアルベールが抱えていたのはミルク粥。彼の差し出すスプーン、火傷しないようにと少し冷まされたスプーンを口に含みながらユリウスは思う。
(……普通の家庭の子供は)
具合の悪い時はこんな風に親や家族の看病を受けるのだろう。自分は今が初めてだけど。
胸の内を打ち明けられる親友、己を強く求めてくれる相手、そして具合の悪い際に気遣ってくれる家族のような人。
全てアルベールが与えてくれた。その彼の望みが「自分が太ること」で、その結果彼を受け入れる体力がつくのならば、そのために努力してもいいかもしれないと思った。言葉にして伝える気はないけれど。
粥は半分ほどしか食べれなかったが、ユリウスを見つめるアルベールの表情は満足そうだった。
「……抱きしめて寝てもいいか?」
ベッドに入ってきたアルベールが真っ直ぐな視線とともに紡ぐ。
「……そういうのは言葉にせず自然にやったほうがスマートだと思うがねえ」
「ユリウスが嫌だったら困る。俺はお前が嫌なことはしたくない」
「……嫌なわけ無いだろう」
アルベールと向き合っていた身体を鈍い動きで反転させ、ぽつりと小さく呟く。
(少し前まで全てを晒して触れ合っていたのだから……そもそも私は君が触れてくればいつでもそれを許容するつもりだった。今日まで友人として以上の触れ合いは求められなかったが)
ユリウスの声をアルベールの耳はしっかりと拾い上げたのだろう。
背中に彼の温度が触れて、手が緩く腰に回される。その手に自分の手を緩く絡めて、ユリウスは瞳を閉じた。
アルベールの手、己の下肢にまで触れたそれが緊張のためか微かに震えているのを少しおかしく思いながら。
「はぁ……」
「団長、どうかしましたか?」
でっかい溜息なんて吐いて、と向かいに座った団員が首を傾げる。団員に何でもないと首を振ったアルベールは、止まっていたスプーンを動かし冷めてしまったスープを掬い上げた。
昼食を取る人々で賑わう食堂。その中にユリウスの姿はない。彼はあまり人の多い場所は好まないようだ。それは別に構わない。食堂でなくともきちんと食事を取ってくれていればそれでいい。彼は今頃アルベールの差し入れたサンドイッチとクッキーを執務室で食べているだろう。ユリウスはアルベールが外食に誘うと、急ぎの仕事が入っている時以外断ってくることはないし、アルベールが同席しなくとも以前よりしっかりと食事を取っているようで、肉付きもかなり良くなった。
ユリウスの身体の変化を測る方法に関しては一悶着あったのだが、アルベールが「道具もいらないし、俺はこれが一番判断しやすい」ときっぱりと告げたところ。溜息とともにではあるが彼は頷いてくれた。
ユリウスとの関係は上手く行っていると思う。今まで触れることを我慢していたが、あの、一緒に風呂に入った日以降何とか自制できそうだと考え、口付けや抱擁などの恋人としての触れ合いも増えていた。
ちらと厨房に視線を送る。団員たちに湯気の立つ料理が乗ったトレイを手渡しているのは主に恰幅の良いおおらかな笑みを湛えた女性。だがその後ろに一人だけ、若い男性の姿がある。少し前から食堂に勤め始めた人物で、アルベールがその人物を気にしているのは、彼が何度かユリウスと一緒にいるところを見ているからだ。
ユリウスの頭脳は今では騎士団全体に知れ渡っていて、そのアドバイスを求める団員は多い。けれど騎士団の仕事を離れたプライベートで過ごす相手というのは、今までアルベールだけだったはずなのだ。
(……束縛が過ぎる男は嫌われる)
そう言ったのは三姉妹の誰だったか。長女ではなかったと思うのだが、次女か三女どちらの言葉だったかは覚えていない。ユリウスと食堂の青年のことで頭が一杯だったから。
ユリウスは食堂が閉まった後に彼と話していた。アルベールは偶然その場に通りかかり、その次の日は意識して食堂に向かい、そこでまた同じ光景を見た。
ユリウスの交流関係が広がるのは良いことだ、と自分に言い聞かせ、その場に踏み込むことはしてない。しかしやはり想い人とプライベートで交流していると思わしき相手のことはどうしようもなく気になった。
「お邪魔するよ」
夜、宿舎のアルベールの部屋に訪れたユリウスを、アルベールは柔らかい笑みで迎える。休みの日が重なった前日の夜は二人で過ごすことが常になっていた。
ユリウスは手土産としてぶどう酒の瓶を抱えていて、アルベールは彼に食べさせるために買っていたチョコレートとチーズをつまみとして出した。部屋にはあまり大きくないソファがひとつ置かれていて、そこに横並びに並んで腰掛け会話と酒を楽しむ。彼が貴族令嬢として暮らしていた家で交流していた際、口数の多い印象はあまりなかったのだが、本来はお喋りなのだろう。ユリウスはよく話し、またその語り方も上手く、アルベールはいつも話に引き込まれていく。今日もそうなりかけていたのだが、ユリウスの口から食堂の話題が出て、少し心がざわめいた。
「食堂に行っているのか?」
食事を取ってる姿は見たことがないと言外に滲ませて質問する。少し不満げな声音になってしまったが、ユリウスは気付かなかったようだ。
「食事をしに行ったことはないけどね。ただ少し前に厨房に入った新人が居るだろう? 彼の話と知識が中々興味深くてね」
「そう、か……ユリウス」
グラスに残っていたぶどう酒を一気に煽りテーブルに置いて、ユリウスの頬へと手を伸ばす。彼の話を聞くのは楽しいのだが、二人きりの時に自分以外の男の話題を出されるのはなんというか少しだけ、腹が立つような気がする。けれどそれを表に出すのは格好悪いと思い。ならばユリウスの意識を全部己に向けるように仕向ければいい、と。
アルベールはユリウスに口付けた。
「んっ」
相変わらず柔らかい唇が小さく開き、そこから舌を差し入れる。熱を持とうとする下肢を意識的に抑え付けつつ、舌を絡めとる深いキスに移行しても。抵抗はなかった。
「はぁっ」
長い口付けを終えると、とろんと瞳を潤ませたユリウスが倒れ込んできて、受け止めてから横抱きにして抱えあげる。腕の中でぐったりとしているユリウスの身体はかなり筋肉もついてきたのだろう、しっかりとした重量があった。男物の服ももう余っておらずピッタリとフィットしている。だがキスだけでこんなに消耗しているのではまだ最後までするのは早い。
下肢に触れ合うことはあの日以来していない。キスや抱擁までなら踏み止まれるはずだが、そこまで行ってしまうと今のある程度肉付きの良くなったユリウスの裸体を前にして欲を抑え切れる自信がなかったから。ユリウスはあからさまに態度には出さなくとも、それを不服に感じているようだったが、彼の身体を思って故なので許してもらいたい。
ユリウスを自室のベッドに下ろし、その瞳が閉じられたのを確認してから。
体の奥に僅かに灯ってしまった熱を冷ますためにアルベールは部屋を出た。
(……あれは食堂か?)
既にとっくに閉まっているはずの食堂の辺りに小さな明かりが点いている。アルベールは明かりに誘われるように食堂へと足を向けた。
コツン、と薄暗い照明の下で自分の靴音が響く。アルベールの視界の先には一人の青年。ユリウスと話していた彼の背中がある。
「ユリウスさ、団長様!?」
彼は靴音の主をユリウスと思っていたのだろう、振り返ったその瞳はアルベールの姿を認識した瞬間、大きく見開かれていた。
「……ユリウスと約束でもしていたのか?」
そんなはずはない、と思う。アルベールとユリウスが今日一緒に過ごすことは前から決まっていたのだから。それに約束をしていたならばユリウスがそれを断りもなく破るとは思えなかった。
「あ、いえ。僕がいらっしゃるかなと勝手に待っていただけで」
「……ユリウスは君と何を話しているんだ?」
青年の瞳が少しだけ、アルベールがユリウスを見つめるそれに似ている気がして、胸の奥に湧き上がった不快感が表に洩れないようにできるだけ優しい声音で問う。答える義務などないだろうが、答えてくれないと不快感が膨れ上がる予感があった。
今まで、ユリウスと出会うまではよく知らなかった感情。これがおそらく嫉妬というものなのだろう。
暫しの沈黙の後、青年が小さな声で答えた。
栄養学の知識が少しあって、ユリウス様に健康的に筋肉をつける食事の組み合わせを聞かれていました、と。
(!)
腹の奥で渦巻いていた負の感情が薄れていく。ユリウスはアルベールの求めに応えるために青年との時間を取っていたのだ。
「その……驚きました。以前は全く逆のことを聞かれたので」
「以前? ……君はユリウスを前から知っていたのか?」
青年が頷く。ユリウスとの出会いはまだお互い声変わりをする前で、青年はユリウスのことを女性だと信じ切っていて。ここで再会して男性の体になっていた彼にとても驚いたのだと。
「どうしてかを尋ねました。とても不思議だったから」
ユリウスの返事は、そうしないと私にたくさんのものを与えてくれた人に何も返せないから、というものだったと教えてくれる。
青年は決して口が軽いほうではないだろう。普段の食堂での働きぶりからもそれは感じ取れる。青年はユリウスの相手が誰だか分かっていて、今目の前にいるのがアルベールだからこそ話の内容を伝えてくれているのだ、きっと。
アルベールはユリウスへの想いを誰かに吹聴するような真似はしていないが、同時に隠してもいない。自分が彼に向ける感情は誰に何を言われても損なわれることはないと確信しているから。故に団員の中には自分たちの関係に気づいている者はそれなりにいるようだ。青年が知っていたとしても可笑しくはない。多くの団員はこの食堂で他愛もない話をしながら食事を取るのだから。それに加え青年はユリウスと直接話している。
『急がなくても大丈夫だとは思っていても、不安になるんだ。……とても多くの人に好かれ求められている人だからね』
ユリウスが零していた言葉としてそれを聞いた時、アルベールはぎゅうと皮膚に爪が食い込むほど拳を握りしめた。
食堂で出される騎士の体を作るための、今までと正反対の食事は胃に負担をかけるようでたまに吐いてしまう事があるらしく。みっともないところを見られたくないからね、と食堂を利用しない理由をユリウスは青年に告げていた。勿論それも間違いなく大きな理由だろうがそれ以上に、きっと彼は周囲に、特にアルベールに心配を掛けたくなかったのだ。
太るための食事がそこまで彼の負担になっているとは知らなかった。けれどユリウスはその先にアルベールが求めているものがあると分かっているから、食堂には訪れずとも青年から聞いた筋肉と体力をつけるための食事を、人が居ない所で取り続けていた。先程抱き上げた彼の確かな重さがその証だ。
(俺はユリウスの身体を傷付けないことばかりを考えて……)
彼がどう思っているかを、彼の心を後回しにしてしまっていた。
アルベールはユリウスを手放す気などなく、対価など求める気もない。ただ好きだから側にいて欲しいだけ。大事にしたいから、傷付けたくないから、最後までは求めなかった。けれどユリウスはそれを、恋人としての強い結びつきを避けているようにも感じてしまったのかもしれない。
青年に教えてくれて有難うと告げて踵を返す。数歩歩みを進めたところで背中越しに声が掛かった。
ユリウスは初恋の相手なのだと。女性だと思っていたから故の想いだったから、今は想っていない、と。
嘘だな、とアルベールは思う。男だと知って幾分薄れたかもしれないが、ユリウスを語る青年の瞳には僅かに、けれど確かに、アルベールがユリウスに向けるものと似た色が滲み続けていた。もしくは青年自身も気付いていないのか、それともアルベールに遠慮したのか。どちらにしても誰かにユリウスを渡す気などないけれど。
(ユリウスは俺に物好きだとよく言うが……)
ライバルは結構潜んでいるのかもしれない。そう思うと、ユリウスの全てが欲しいという想いがより強く大きくなっていった。
「ユリウス」
「おかえりなさいませ、親友殿」
部屋に戻ると、ユリウスはベッドに腰掛けていた。ただいま、と告げてからアルベールはベッドに歩み寄る。
「……ユリウス」
手のひらで彼の頬を包み込むと、いぜんよりふっくらとした感触が伝わってくる。
「ユリウス、次に休みが重なった日、その前日の夜に……お前の全部を貰っても良いか?」
「そうだね、いい加減肉をつけるための食事を取り続けるのも少しきつくなってきたから、そうしてもらえると助かるよ……幸いと言って良いのか私は太りやすいようで、ついた肉がすぐに落ちることはなさそうだしねえ」
聡いユリウスは多分、アルベールが厨房の青年と話をしたと気付いている。食堂に青年が残っている可能性が高いのも知っていただろう。だからこそこんな物言いをしているのだと思う。
内にあるはずの不安は感じさせない、素直ではない台詞だったけれど、言葉とは裏腹にユリウスは安堵を滲ませた柔らかい笑みを浮かべていて。その様子に愛おしさを覚えつつ。アルベールはユリウスにそっと、ふわりと軽く口付けて。体の芯が熱を持ってしまう前に離れた。
「団長、何か心ここにあらずって感じですね?」
「!」
団員に指摘されてアルベールは我に返る。ユリウスと初めて出会った時のように出席を強制された夜会。だが正直夜会のことも言いよってくる女性のこともどうでも良かった。
明日はアルベールとユリウスの休みが久しぶりに重なる日。そしてその前夜である今日はユリウスの全てをアルベールが受け取る日、で。どうしたら彼を傷付けずに抱けるのか、どうすれば彼と自分が一緒に気持ち良くなれるのかという想いが頭の中の大半を占めていた。
今日と明日だけ、アルベールはユリウスの、想い人のことだけを考える、恋する馬鹿な男で。そう在ることを自分に許していた。夜会が入ってしまったのは計算外だったが、日を改めるつもりはない。流石にもう我慢の限界が来ていた。
ユリウスは夜会には出席していない。女性としての自分を知っている者達に会ったら面倒だという理由で。アルベールとしても彼が誰かに色の付いた視線を向けられるのは耐えられなかったから、欠席は歓迎している。出される料理やぶどう酒は美味しいものだったから、それを二人で楽しめないのは残念だったが。
アルベールにすり寄ってきていた令嬢達も、あまりの反応の無さに既に皆離れている。
「団長、抜けてもよろしいのでは?」
我々が最後まで居ますから、と声を掛けてくれたのはマイム達三姉妹だ。彼女たちはアルベールとユリウスの関係をはっきりと知っている。ユリウスがまだ貴族令嬢として暮らしているときから、アルベールは彼女たちに贈り物などのアドバイスを受けていた。
今夜のことは流石に伝えていないが、二人の休みが重なる前日なのだ。アルベールがユリウスと過ごしたいと思っているのには気付いているだろう。
彼女たちに礼を告げて宴の会場を後にした。
「おや、早かったね」
ユリウスはアルベールの部屋で待ってくれていた。
「食事は取ったか?」
尋ねると、目を伏せた彼が後のほうが良いと思ってね、と呟く。目元はほんのりと赤く染まっていて、彼が発した言葉、行為を待っていたようなそれに羞恥を覚えているのだと伝わってきた。
「……この時間に戻ってきたということは君もあまり食べていないのだろう?」
口にあうかはわからないが終わったら二人で食べようと思ってね、と彼の指が指し示す先にはテーブルの上に乗った料理の皿たち。メインの肉料理にスープ、サラダなどが整然と並んでいる。
「ユリウスが作ったのか?」
「……必要にかられて覚えてたのだけどね……料理は嫌いではないから久々に色々作れて楽しかったよ」
必要にかられて、の部分が少し気になったが、追求してはユリウスに悲しい顔をさせてしまう予感があったから、食べるのが楽しみだとだけ返した。
「ユリウス」
名を呼んでから、彼の身体を抱き上げる。彼が身に着けているのは薄いシャツと脱がせやすそうな綿のズボン。華奢とは呼べなくなった、筋肉のついた身体、その肌がシャツの向こうに透けている。肉感的な、とも表現できる身がアルベールの腕の中に確かにあった。
「……アルベール、もう君の求める体になったと思うのだがね」
少し考えてから。
「流石に俺もこれ以上は我慢が効かないし、無理して食事を取ってほしいわけじゃないからこれで妥協するが……本当は後五キロは太って欲しい」
正直に答えると。
「五キロ!? 私君に出会ってから十キロいや十五キロ以上太ったんだが!? それにこれ以上って君よりも体格が良くなるじゃないかっ」
目を見開いたユリウスが声を上げる。ユリウスはその頭の良さもあってアルベールより遥かに口がうまく、焦ったような彼の表情は余り見ることはできない。けれどその彼がアルベールの言葉が心底意外だったのか、声を荒げている。
会話で優位に立てたことに少しだけ優越感を抱き、好きな子をいじめたい子供の気持ちがちょっとだけ分かってしまった気がすると思いつつも。余りこういう事が多くあればユリウスの心が離れてしまう可能性があると自身を戒める。今日と明日だけは想い人のことだけを考える馬鹿な男で居るつもりだが、本当の意味で馬鹿な、愚かな男になるつもりはないのだ。
だからアルベールは腕の中の愛おしい存在に、俺はそれのほうが安心できると告げてから、ベッドへと向かった。
想い人の全てを受け取るために。
「んっ」
重ねていた唇を離すと、とろんと瞳を潤ませたユリウスが見える。艶の増した柔らかい唇に誘われるようにアルベールは再度口付けた。
ベッドの上、既に服は脱ぎ捨てていて、横たわるユリウスを押しつぶさないように気遣いながら、アルベールは彼に覆い被さっている。
軽いキスの合間に舌を絡める深いものを混ぜて、何度も何度も繰り返す。自分の下にある彼の少し強張っていた身体から力が抜けたのを見計らって。
アルベールはユリウスの肌、初めて会った時より随分と男性らしくなった、けれど滑らかな素肌へと手を伸ばした。
今日を迎えるために今まで、いやユリウスと出会うまでは全く興味のなかった初心者向けの指南書を読み込んだ。男女向けの本だったが一部は充分にこれからのことに活かせそうだった。部屋に置いておけばユリウスに見つかりそうで、それは少し恥ずかしい気がしたから。城内の図書館で読み込んでいると訪れた団員が何故か慄いた様子で尋ねてきた。入団は同時期で、小隊長時代もアルベールの隊に配属されていた、そこそこ親しいと言って良い人物だ。
「……団長、もしかして経験ないんですか? あんなにもてるのに??」
もしかしたらこの歳で経験がないというのはおかしいのだろうかと彼の態度から感じつつも。
「今までそうしたいと思う相手が居なかったからな」
正直に答えた。
その後の彼の反応をアルベールは余り覚えていない。再び本を読み込むのに夢中になっていたからだ。後に訪れるユリウスとのその時間を優しく、甘いものにするために。
ただ、団長すごく純情だったんですね、という呟きはぼんやりと耳に残っている。
「しんゆうどの、アルベールっ」
ユリウスのいつもより少し高く、拙い声がアルベールの名を呼び。それに応えるように今日何度目か分からない口付けを贈る。
ユリウスの本来白い肌はアルベールの手、そして唇から受けた愛撫により淡く色付いている。特に色付いた部分、つんと立ち上がった胸の突起に吸い付くと。
「ぁあ」
甘い喘ぎが零れて。
アルベールは己の下肢がどくどくと脈打ち熱を持っていくのを感じながら。
これからの行為で大切な人に負担をかけないために、潤滑剤として用意していたオイルの小瓶へと手を伸ばした。
「……ぅ、ん」
腕の中に抱き込んだユリウスが声とともに小さく身じろぎするが、目を覚ます様子はない。多分朝まで起きないだろう。それくらい疲れさせた覚えはある。
(明日はここの部屋から出ないで過ごそう)
ユリウスの閉じられた瞼、その長いまつ毛を見つめながらアルベールは決意した。その理由は。
ようやく身体を繋げら得た想い人の姿を誰にも見せたくないから。
今は瞳が閉じられているから幾分ましになっているが、行為を終えた後、ぼんやりと潤んだ瞳で仄かに笑むユリウスは壮絶に艶っぽく。自分以外に見せたくない、見てほしくないと思ってしまったのだ。
行為の後、彼の身体に絡んでいた精は綺麗に拭き取ったのに、内側から滲み出るような色気は消えなかった。肉感的と言えるようになった体格も、それを助長している気がする。
(ユリウスは俺に物好きだと言うが……)
今の、行為の疲労を引きずった妖艶な彼の姿を見てしまえば、意識する者はきっと居る。そしてそれをアルベールは許容できそうになかった。
「大丈夫か?」
翌朝、目覚めたユリウスはまだ自力で動けそうになく。アルベールは彼を抱えあげてソファへと向かう。
「……君は食べていても良かったのに」
ソファにユリウスを下ろし、昨夜彼が用意してくれていた料理を温め直して運んでいると。ぽつりとユリウスが呟いて、アルベールはできるだけ彼を視界に入れないようにしながら。
「お前が居るのに一人で食べるのは味気なくて嫌だったから」
と返した。
その顔から目をそらしたのは今の、けだるげな雰囲気を纏ったままの彼をまともに見てしまうと昨夜の熱がぶり返してしまいそうだったから。しかも今ユリウスが身に付けているのはシャツ一枚だけなのだ。元から寝間着として購入したのか、最近新調したというそれは大きめでユリウスの膝上辺りまでをすっぽりと覆い隠していたが、膝から下、昨夜アルベールの精が伝っていた足ははっきりと見えていた。顔から反らすためにうつむいた視線がむき出しの素足をまともに捉えてしまい、部屋の中へと視線を移す。
(花?)
昨夜は気付かなかったが、部屋の片隅、ローチェストの上に水の入ったガラスコップがあり、花が飾られていた。一輪だが大きな花を付けた、摘まれるまでしっかりと手入れされていたと伝わってくる美しい薔薇。アルベールには見覚えはない。ということはユリウスが飾ったのだろう。
「ああ、それねえ……昨日の夜会に例の小金持ちの伯爵が来ていてね、渡されたんだ。今の私を見て酷く驚いたような、衝撃を受けたような顔をしていたから、流石にもう求められることはないと思うけど」
「は?」
ユリウスの横に腰を下ろし、まともに彼の姿を見ないようにしながらも問い掛ける。
「あれは架空の出来事じゃなかったのか?」
「……条件がまとまっていないだけで、予定自体はあったんだ。君が連れ出してくれなければ多分……」
「ダメだからな!」
流石に顔をそらし続けて言える言葉ではなく、ユリウスの肩を引き寄せながらアルベールは叫ぶ。
焦るアルベールとは対象的に。
「だから今の私を求めることはないと思うと言っただろう?」
ユリウスはくすりと笑いながら答えた。
「……それに君の相手をできるのは今の私くらいだろうから」
……私で我慢しておきたまえ。
ぽつりと音量を落として囁かれた声。
最初ユリウスの言葉の意味がよく分からなかったが。理解し、彼の声にわずかだが不安が滲んでいた気がすると思った瞬間。
「俺はお前『が』良いんだ!」
アルベールは再び叫んでいた。
そして決める。
繋がることはできた。彼はアルベールが求める体を手に入れてくれた。その身体に、心に。
今度は溢れるほどの想いを注ぎ込むことを。自分がいかにユリウスを、彼だけを想っているのかを思い知らせていくのだと。