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​「ONE SCENE」 本文サンプル

*注意書き*

・前世であまり幸せな結末を迎えていない設定(ユリウス、アルベール共に自分の『最期』は覚えていない)。
・ユリウスが今世の家族に虐待されていた設定(虐待シーンは出てきませんが、ユリウスの首裏から背中に傷が残っている設定です)。
・R18シーンは結構多め(結婚してるので!)でアルベールがやや強引にユリウスを抱くシーンもあります。
・パラレルという設定上、モブキャラが結構出てきます。

偽英雄でアルユリに落ちたアルユリ初心者が萌と勢いで作った本です(愛は込めた!)。
転生モノということもあり本の中で原作にはほんのりとしか触れていませんが、彼等に対する造詣がまだ深くなく知らないことも多いので、矛盾点などあるかもしれません。
『同人誌は個人の妄想』ということで受け入れていただければ幸いです。

【P4~】
 周囲の人々、主に若い女性から小さくざわめきが起こる。彼女達の視線は人でごった返す駅前の交差点、横断歩道を渡った場所にあるビル、その壁の高い位置に設置された巨大な街頭ビジョンに向けられていた。
 食料品の買い出しのためにデパートのスイングドアを押そうとしていたユリウスも、彼女達につられるように画面に視線を向ける。
 映し出されていたのは男性アイドル。歌はあまり出していないが売り出し方を見るに分類的にはアイドルだろう。
 映像は何かのコマーシャルのようだ。テレビで流れているのを見た記憶はないから、おそらく今この瞬間、初めて世間に流れたものだと推測する。
 六月初旬、気温は高くなってきたが本格的な夏というにはまだ少し早い時期。画面の中の男は薄手のシャツと膝下までの体にピッタリとフィットした水着を身に着け、サーフボードを抱えて海に入っていく。
 ユリウスが今暮らしているこの地域よりかなり南の方で撮影されたのか、たまに挟み込まれる太陽のカットはギラギラという表現が良く似合う光の強さだ。
 映像を暫くぼんやりと見守っていたが、男が波を捕まえボードの上に立ち上がり、風がシャツをまくり見事に割れた腹筋が見えた場面でふと我に返り、目的を果たすために歩き出した。
 ドアが閉まり厚いガラスが外の世界を遮断するまでの間、女性達がアイドルの肉体美について語り合っている様子が耳に届く。アイドル、というと男性でも可愛さを売りにしている者も多い気がするが、男は運動神経や肉体美に定評があった。その運動神経を活かし、スタント無しで特撮番組の主役を務め上げたこともある。金色の髪と紅系色の瞳を持つ顔は酷く整っていて。浮かべる笑顔の種類によっては可愛いという印象も抱かせることも可能だと思うのだが、ファンに向ける笑顔はアイドルらしい爽やかさも含んではいるがどちらかというと不敵な、と表現できるものが多いように感じる。肉体美については披露したのはデビューから暫く経ってからで。着痩せするタイプらしく服を着ている時は細身に見える彼が初めてその肉体を生放送中のスタジオで見せた際、なかなか周囲の人々が受けた衝撃は大きかったようだ。
「さて、と」
 店の中に入り買い物ルートと買う物を頭に思い描く。買い物をする時、まず考えるのは自分が食べたい料理ではなく同居人が好みそうな食事。同居人は料理が全くできないので、料理を作るのは基本いつもユリウスだ。実験や研究が好きでそれらに通じる部分のある料理も好きだし不満はない。今のこの『普通』の生活は、同居人によって与えられたもので、感謝も有り彼の世話を焼くことも割と好きだった。
 彼と暮らすより前は料理を好きだという感情すら忘れていたのだから。
 それに彼は全くの任せきりというわけではなく、掃除や洗濯などは忙しい身でありながら積極的に手伝ってくれている。
 ユリウスはどちらかというとあっさり系の料理が好みだが、彼はそういう食事が続くと少し物足りなさそうだ。こちらが例外で、若い男性なら彼の方が普通だろう。
 そういえば最近あまりがっつりとした肉料理は作っていなかったねと思い出して、精肉売り場へと向かい、少しお高い牛肉の塊をカゴに入れた。
 他にもミネラルウォーターや酒、野菜類、日持ちのするパンなどを購入して、デパートを出る。酒はユリウスも同居人もブドウから作った赤ワインを好むから、買った酒はワインのみだ。
 これから向かうのは最寄り駅。最終目的地は今居る繁華街から駅四つ分離れた住宅地だ。
 駅では先程街頭ビジョンへ熱視線を送っていたと思わしき女性数人が、今度はスマートフォンを壁に向けている姿が見受けられた。壁にはCMの場面を切り取ったポスターが連続写真のような形で掲示されていて、彼女達はポスターの中の『彼』を夢中になって撮影している。
 そんな様子を視界の端に映しながら、ユリウスはホームへと向かい、丁度良いタイミングで到着した電車へと乗り込んだ。
 水ものをそれなりに含んだ買い物はやや重かったが、住んでいる住宅地にはまとめ買いするほど品揃えの良い店はなく、そのせいか住宅地のある駅へ向かう電車は大概空いていて座ることができる。それは今日も例外ではなかった。繁華街へ向かう際には座れないこともあるがその場合、基本荷物は折り畳んだエコバッグと財布だけなので気にならない。だから買い物のために電車に乗る時間も好きだった。
 同居人があの家から連れ出してくれるまで、自分の意志で買い物に出ることなどは無理だったから、ただ買い物という名の自由時間が楽しいというのもある。冷たい家から脱出してもう数年経っているが、買い物に飽きることも、楽しいという感情が薄れることもなかった。
 繁華街の駅に比べると随分と狭い駅から出て十分弱ほど歩いて辿り着く、静かな住宅地。その更に端の方にある、あまり入居者は多くない、けれど造りとセキュリティはしっかりしたマンションの一室。
 そこが同居人と一緒にユリウスが住んでいる『今の家』、だ。
(今日は夜になると聞いていたが)
 カードキーを使ってドアを開けたところで、今朝同居人が履いて行ったはずの靴があるのを見て首を傾げる。帰りは夜になると思うとユリウスに告げて、彼は出掛けて行ったのだから。
「おかえり、ユリウス。買い物に行ってたのか、迎えに行けばよかったな」
 言葉とともに玄関に姿を見せたのは。
 先程街頭ビジョンに映し出されていた男、だった。
 着古した感のあるタンクトップに緩めのハーフパンツというややだらしない彼の姿は、アイドルとしての彼に熱い眼差しを向けている女性にとっては少し幻滅するものかもしれない。けれどユリウスには見慣れた姿だ。年齢的にはまだ若者の域で、顔だけ見れば実年齢より若く見える童顔なのに、彼が私的に選ぶファッションは若者のセンスからは大きく外れている場合が多い。外出時の服はある程度事務所から指定されていて、また家に来客がある際はユリウスが彼の服装をチェックしているから。ファンの女性達は、こんな彼の姿を見ることはないのだけれど。
「帰っていたのかい? アルベール」
「ああ、雑誌の撮影が一件延期になった分早くなった。カメラマンが急な食中毒になったと言っていたな」
「なるほど。最近暑くなって来たから、食べ物が悪くなるのも早いしねえ」
 同居人、アルベールがユリウスの抱えた袋のうち飲み物などの重いものを入った方を取り上げる。
 こちらを見る彼の表情は甘さを孕んだ柔らかい笑顔で。この笑顔がファンに向けられれば、もっと彼の虜になる人々が増えるだろうとは思う。
(……もしそうなったら私はきっと……少し寂しいと感じるんだろうね)
 料理はできないが収納場所などはしっかりと覚えている彼は袋の中身を戸惑いなく仕舞っていく。
 芸能人であるアルベールがユリウスと共に住んでいる、その事実を知っている者はアルベールが所属する事務所の社長の他、数人だけ。
 それは二人が単なる『同居人』ではないことに理由があった。
 ユリウス、そしてアルベールには、この世界で生きて来た想い出とは別の記憶がある。それはいわゆる前世の記憶、というものなのだろう。二人はかつて、空の世界と呼ばれる中のレヴィオンという国で生きていた。あの国の未来と今住んでいるこの世界が繋がっているとはとても思えないが、空の世界にはたまに明らかに別の時空に住む者が迷い込んでいたから。自分達もそういう違う時空の世界に転生した可能性が高い、という見解だ。
 そして二人が単なる同居人ではないのは、ユリウスの家庭の事情が大きく関係していた。

 買い物をすべて片付け終え、ソファに腰掛ける。アルベールもすぐに隣へ腰を下ろしていた。
「ユリウス」
 背中をゆっくりとソファに沈めたところに、アルベールが覗き込んで来て。女性達に『王子様』と騒がれる整った顔、その紅い瞳の奥に熱が宿っているのに気付く。
「触るだけだから、いいか?」
「相変わらず物好きだねえ、君も」
「暫くこういう意味ではお前に触れてなかったからな」
 軽く皮肉を滲ませた声音で告げても、アルベールから返ってきたのは答えになっていないそんな言葉。
 まあ確かにここ暫く彼は撮影で忙しく家で過ごす時間が少なくて、欲とともにこの体に手を伸ばしてきたのはかなり前だ。
 ここでは後始末が大変だから、と告げると。アルベールは頷いてユリウスの手を取り歩き出す。そして向かったのは浴室。以前リビングで抱き合って後始末に二人して後悔して以来、寝室以外では浴室で、がお約束になっている。一緒に入ることも想定して選ばれたらしい浴室は、浴槽も洗い場もマンションに設置されたものとしてはかなり大きく広かった。
 同居人という名で隠されたユリウスとアルベールの本当の関係は。
 同性婚により結ばれた夫婦、だ。
 同性婚の場合は男女の結婚と違い、夫と妻をはっきり区別することは少ないらしいが、二人が住んでいるこの地域の同性婚の書類は形式上一応で良いのでどちらかを書いてほしいというもので。
 書類上、ユリウスはアルベールの『妻』だった。
 今の世界でも前の世界でも、自分の生まれた経緯の影響もあり性的なことにあまり興味を持てなかったユリウスは、自分が妻の立場であることに不満はない。それに自分をあの冷たい家から連れ出してくれた彼に差し出せるものは体くらいしかなくて。彼が求めてくれることはむしろ安心できる要素だった。前の世界でアルベールと何度か体を繋いだ時も自分が抱かれる方だった記憶もあって、抵抗も特にない。それに行為の時自分が受け身だというだけで、彼がこの身を女扱いしているわけでもない。
 ただ昔から、前の世界から。顔はまあ比較的女性的かもしれないし、髪は女性でもあまり居ないくらい伸ばしているが、しっかりと男の体の己を。アルベールがいささか熱すぎる情を持って求めてくることは少し不思議ではあった。なにせこの世界で彼に想いを寄せる女性は多いし、過去あの国でも英雄として多くの人々に慕われる存在だったのだから。忌み子と呼ばれ疎まれてきたこの身とは違って。

「んっ」
 浴室で向かい合って立った状態。暫く頬や額を軽くなぞっていたアルベールの唇がユリウスの唇に触れる。
 軽い口付けが何度か降ってきた後。
「ふ、ぅ…っ」
 彼の腕が後頭部へ回され、口付けが舌を絡める深いものへと変化して。熱い舌に翻弄され、脳がじんと痺れる。口内を蹂躙する舌に息を乱している間に。
 アルベールの手はユリウスの履くジーンズのファスナーへと伸びていた。
「ぁ」
 ファスナーを下ろす小さな音が浴室に響いた後、下半身が空気に晒されるのを感じてぴくりと身を震わせる。体のラインより少し余裕を持って選んだサイズのジーンズは、下着ごと太ももの付け根まで脱がされていた。
「……ユリウス」
 耳元でアルベールが欲に掠れた声で囁いて。
「ふ、ぁ」
 下半身に熱いものが擦り付けられる。硬いそれがアルベールの雄だと、すぐに理解した。彼はいつの間にか下半身に身に着けていた服を全て脱いでいたようだ。
 ユリウスの中心はまだほとんど育っていなかったが、どくどくと脈打つアルベールの雄を敏感な部分に擦り付けられ、体の奥から熱がせり上がっていく。
 身長は一センチ差で、全体的な体格に大きな隔たりはない。ユリウスの方が少し発育は良いかもしれないが、雄の象徴、その大きさは圧倒的にアルベールが上で。そんなものとともに性器を、彼の端正な顔に似合わず無骨な手で握り込まれ擦り上げられて。
「ぁあっ」
 与えられる刺激の強さに耐えきれず崩れ落ちそうになるが。
 アルベールが片手でユリウスの腰を支えることで防いで、彼が自分の肩に手を回すように告げて来る。それに素直に従い、けれど彼の肌を傷つけないように注意を払いながら、その首にゆるく抱きつくようにして腕を回した。
「!……触るだけ、じゃ、ん、なかったのか、いっ」
 二人の雄を擦り上げていたのはアルベールの右手だと思ったが、気付かない内に左手に変わっていて。
右手がユリウスの背中側に周り、泡―ボディソープだろう―に濡れた指が一本、つぷんと尻の浅い部分に侵入したのを感じ、身を捩る。
「最後まではしない。お前もこっち触った方が気持ちいいだろう?」
「んっ、ぁ、あっ」
 抗議の声はくち、と濡れた音とともに中で曲げられた指が敏感な部分を擦ったことにより、甘い嬌声へと変わる。この身からこんな声が出るなんてアルベールに求められるまでは知らなかったし、規格外の雄を受け入れられるようになるまで、彼の指によって何度も中を解されて。確かに尻の奥でも感じる体になってしまっていた。
「ぁっ」
 指が引き抜かれ、その感触にすら喘ぎが漏れる。
 後ろからの刺激が無くなったことに小さく安堵の息を吐くと。アルベールの右手、その中指は擦り合わされている性器の先端、その先走りを掬い取って。
「ひっ」
 つぷんと音を立てて先程より深い位置まで挿入される。内襞を確かめるようにぐるりと回転した指は、次に浅い位置まで移動して。
「ぁ、あ」
 アナルの入口、その周囲の筋肉をマッサージするように刺激してくる。指の動きに合わせて尻穴が緩むのを感じ、羞恥からきゅっと瞼を閉じる。
 穴を蹂躙する指は段々と増やされて。
「あひっ」
 増やされた指で前立腺を刺激されてしまえば、快楽に濡れたみっともない声が零れ。性器の先端からはぴゅくぴゅくと小刻みに白濁が飛び散る。
 性器を包んでいたアルベールの左手もいつしか後ろに回されて、ユリウスの尻肉を割り開いていた。
 前を硬く大きい彼の雄で擦り上げられ、後ろは三本の指でぐちゅぐちゅと掻き回されて。
「ぁああぁ」
 襲ってくる甘い強烈な痺れに耐え切れず、ユリウスは中心から精を噴き上げた。
「はぁっはぁ」
「っと」
 完全に力の抜けた体はアルベールの胸に抱きとめられる。その際腹を彼の雄が掠って、肌に感じた熱さと硬さが、彼がまだ達していないと伝えてくる。しかしそれを指摘する間もなく。
「!」
 くるりと体を反転させられた。
 崩れ落ちないために浴室の冷たい壁に手を突くと。ぐいと腰を引き寄せられ、まるで獣のような、四つん這いに近い体勢になる。先程まで指が挿入されていた部分、その周囲をなぞるように尻の谷間に硬度を保ったままの彼の雄が数回擦り付けられて。ひくんと腰が震える。
「っ」
 尻の上から熱が去ったと思うと、今度は太腿の間に硬い感触。
「ユリウス、足を閉じてくれ」
 アルベールの言葉に、素直に従うと。
「ぁっ」
 腰を掴まれ、まるで挿入時のように揺さぶられ。先ほど精を放って力を失っていた中心が、彼の雄に擦られ突き上げられて、再び昂ぶっていく。腰を掴んでいた彼の腕がやや下に移動したのを肌で感じ。直後。
「んぁ、あ」
 尻肉を左右に割り開かれ、今まで解されていたせいで常より緩んだ穴に再び指が入り込んでくる。感触からして親指で、奥まで入ってくることはなく入口を軽く抑えつけて来るのみだったが。
「あっ、あっ」
 ユリウスの体は敏感に快感を拾い、腰が揺れてしまう。指の動きに合わせて中心、その先端が震えながら精を再び小刻みに撒き散らす。
 浅い部分の柔らかくなった肉をアルベールの親指の腹で強く押され、同時に彼の脈打つ雄に玉から竿を激しく突き上げられて。
「んぁああぁ」
 喘ぎとともに二回目の絶頂を迎え、瞬間太腿に力が入り。
「……くっ」
 アルベールの詰まった声と同時に、下肢と擦られていた性器に彼の熱が飛び散ったのを感じ。
 その感触に小さく安堵して目を閉じた。
 自分だけが気持ち良くなるような行為では、彼に体を差し出す意味がないのだから。


「ユリウス、動けるか?」
 膝をついて座り込んでしまったユリウスに、アルベールは気遣う声をかける。
 彼の下肢と、下肢に身に付けていた服は自分が放ったものと彼が放ったものでベトベトになっていて。ジーンズと下着を脱がせた後、ユリウスの下半身をシャワーで清めていった。できるだけ彼の下肢、精を放ち硬度を失ったその中心を見ないように気を付けながら。ユリウスの性器、大きさや形は一般的な成人男性のものだが、本来の使われ方を全くしていないそれは淡い可愛らしいと言っていい色で、情欲を煽るのだ。
 彼はアルベールに比べると体力面ではやや劣っていて、特に性的な行為から齎される疲労は体に大きく負担を掛けるようだった。それを考え、彼に触れたいという気持ちを抑え込む場面が多い。ただ今日は約一か月振りにゆっくり触れ合う時間ができたとあって、抑え切れなかった。それでもユリウスに特に大きな負担が掛かる挿入だけは何とか我慢したのだが。
「少し、したら何とか」
 答えるユリウスから吐き出される息はまだ荒くて、立ち上がれるようになるまで時間が掛かるだろうと感じ、彼の体を腕に抱え上げた。
「っ、相変わらずの馬鹿力だねえ……。抱えているのが私ではなく可愛らしい女性ならさまになるだろうに」
「俺はお前以外と行為をする気はないし、余程の緊急事態でもないと女性を抱える気もないぞ?」
 ユリウスからの返事はなく、彼はただ呆れたような溜息を吐いた後、アルベールの腕の中で瞳を閉じていた。ユリウスに宣言しておきたかっただけで彼からの反応を待っていたわけでもなかったから、気にせず歩き出す。途中、一度彼を下ろし、脱衣所に置かれているプラスチックの引き出しから彼の下着と寝間着に使っているズボンを取り出して剥き出しのままだった下肢に履かせる。自分もその際に下着を新しいものに交換し、着替えの後自ら立とうとしてふらついた彼を再び抱き上げた。
 浴室を出て向かうのは、ユリウスの部屋ではなくアルベールの部屋だ。前の世界と同じくこの世界でも研究を趣味とするユリウスの部屋は資料が散らばっていることが多く、また逆にアイドルとしての仕事で家を留守にすることの多い己の部屋はほとんど散らかることもないから。その部屋の方がゆっくりできるだろうと思ってのことだ。
 それぞれの自室にベッドは置かれているが、ひとつの大きなベッドが部屋の真ん中を陣取っている二人用の寝室も別に存在していて。そこは主に最後まで体を繋げる時に使われている。何もせずにただ二人で身を寄せ合って眠ることもあるが。
「そういえば」
 ベッドにユリウスをゆっくりと下ろすと、今まで黙って目を閉じていた彼が口を開く。その唇から出た話題は、アルベールが出演している新しいCMを駅前のモニターで見たというもので。
「若い女性が騒いでいたよ」
 ユリウスが笑みを浮かべながら続けるが、ファンの女性の反応には大して興味がなかったから、そうか、と答えるだけで済ませる。ユリウスの感想があれば聞きたいとは思ったが、何か改善点を見付けていれば真っ先に教えてくれるはずで。それ以上の純粋な感想を彼から引き出すのは難しいと分かっている。だから敢えて言葉を繋がなかった。
「……外ではもう少し愛想良くしたまえよ。君はアイドルなんだから」
「わかったわかった。それより疲れたんだろう? 少し眠ると良い」
 会話を断ち切るような物言いにユリウスは小さく眉根を寄せたものの、眠りたいのも確かだったのだろう。「つかれたのはきみのせいなんだけどねえ」と辿々しく零した後瞼を下ろし、すぐに小さな寝息が聞こえて来た。彼の寝顔を眺めていると、その頬に汗で髪が一筋張り付いているのに気付き、毛先が小さく開いた口に入りそうだったから指でそっと払う。
 長く伸ばされている彼の癖の強い髪、昔からそれに触れるのが好きだ。
 ユリウスは事あるごとにファンへのサービスをもっと良くした方が良い、君のアイドルとしての地位は彼女たちに支えられているのだからと言ってくるが。この 身にとってアイドルは単なる職業だ。仕事だから懸命にやっている。前世の騎士団長としての仕事に向かい合っていた姿勢と何も変わらない。前世での騎士団長の立場は自身のプライベートにもある程度根付いたものだったが、アイドルの職はそうではなく。だから仕事以外の時間にまで彼女たちへのサービスを求められても困る。
 一番大事にしたいのはユリウスと共に過ごす時間、なのだから。

【P22~】過去軸(現世)の話
 あの日とは違いアルベールはフードではなく深い藍色のキャップを目深に被っていたが、顔が見えなくともユリウスにはすぐ彼だと分かった。
 手を引かれ、停まっていた車に乗るように促される。予め指示をしてあったのか、アルベールが何か言う前に車は発進し、停まったのは流行っていなさそうな古びた喫茶店の駐車場、だった。
 アルベールがドアに手を掛けると、カランと意外に澄んだ呼び鈴の音が響いたが、中には誰も居らず。どうやら二人で話をするためだけの場のようだ。
 ユリウスにソファに座るように促し、向かいに座ったアルベールはそこで初めてキャップを取った。元より整った顔だったが、青年に近付き精悍さが増した様子が見て取れる。
「……少し前、テレビで君を見たよ」
 彼が声を放つ前に、思わず伝えていた。
「お前はあんまりそういうのに興味ないと思ってたんだが」
 たまたまだよ、それに君もあまり興味がある方だとは思えないんだがねぇ、と答えると。
「……ああ、本当は芸能界に入る気などなかった。だが」
 彼は少し俯いて事情を話し始める。その事情にまたしても驚かされた。
「お前を迎える準備、それを完全にするにはどうしても普通のバイトじゃ無理で」
 アルベールはユリウスとの生活のために契約金付きのスカウトを受けたのだと。
「それと……血の繋がった親と引き離すにはこれしか思い付かなかった」
「!?」
 彼から封筒を受け取り、中を確認して。思わず体を強張らせる。
 中に入っていたのは同性婚が認められている地域での同性婚の申請書類、だった。書類には十八歳以上で双方の同意があれば家族などの同意は必要ない旨も記されていて。
 アルベールが今日迎えに来たのは、ユリウスが高校を卒業するのを待っていたからかも知れない。
「……君は私を助けるために偽装結婚すると?」
「お前がそう思った方が俺の手を取りやすいなら、それで構わない」
 だが俺としては。
 お前と本当に夫婦になりたいと思っているし、お前もそれを望んでくれたら嬉しい。だから俺と一緒に来てくれ、ユリウス。
 真っすぐにこちらを見て告げるアルベールの瞳に嘘や誤魔化しは見当たらない。
 前の、空の世界、レヴィオンでアルベールと自分が友人関係を経て、それ以上の関係になったことは覚えている。数えるほどだが彼と体を重ねたことも。けれど最終的にどうなったのかはユリウスの記憶の中にはない。今日とはだいぶ言葉は違うし、その時の彼にプロポーズのような意図はなかったと思うが、彼が一緒に住まないかと誘ってくれたことも覚えている。しかしそれにどう答えたのかは、記憶のどこにもないのだ。
 アルベールとの記憶は中途半端な所で途切れている。お互いそのまま恋人として暮らしたのか、それとも別の伴侶を得たのか、定かではない。けれど。
 自分以外の誰かを彼が選んだとしても、そしてそれを祝福したとしても。
 この身がアルベール以外を求めることはなかったはずだと。
 それだけははっきりしていると思った。
「ユリウス」
「……アルベール」
 差し出された手。
 前の世界から彼が自分を愛してくれる理由が、自分に執着する理由が分からない。けれどその執着はいつでもユリウスの心を救ってくれる。
 だから、悩みながらも。
 彼の手を拒むなど、できるはずがなかった。

【P38~】
「どうかしたのかい? 親友殿」
 喉の渇きよりアルベールの様子を窺うのを優先して、声を掛ける。近付いて「おや?」と首を傾げたのは彼の眉間にくっきりとシワが刻まれていたからだ。何かに苛立っているのだろうか。
 ソファに座るアルベールの横に腰を下ろすと、彼がずるりと更に体勢を崩して、頭をユリウスの膝に預けてくる。台本はソファの端の方に放り出されていた。
(私の膝では癒やしも何もないと思うんだがねえ)
 そう思うが、アルベールは度々この膝に頭を預けて来る。
 彼の顔を覗き込み、眉間に寄ったシワを指でついと辿ると。
「……仕事で少し苛つくことがあってな」
 指の感触に、僅かに目を細めたアルベールがそう零した。
「撮影で行き詰まっているわけではないのだろう?」
 映画の監督の演技指導は厳しいと評判のようだが、アルベールにはむしろそういう監督の方が合っている気がする。現に初日の撮影、その様子を聞いた限り、彼は監督の期待に充分応えた様子だった。
「ああ、そっちは今のところ順調だ……それ以外で問題が、いや他から見れば些細なことなのかもしれないが……」
 アルベールはそこで一旦言葉を切り。はあぁと深く息を吐いてから。
「映画の撮影に入る少し前に、マネージャーが代わった」
 普段の彼より幾分低い声で絞り出すように呟いた。
 代わる前のマネージャーにはユリウスも何度か会っている。アルベールのデビュー当時から付いてくれている人物で、事情は詳しく話していないが、自分達の様子を仲が良いんですねえと笑っていた社長より年上の女性。自分達と年の近い娘がいるということで、アルベールも彼女には話し易いらしく良い関係を築いているようだった。そんな彼女がアルベールのマネージャーではなくなってしまったのは、少し残念だ。
 彼女からは少し前作ったクッキーに丁寧なお礼の手紙を貰ったこともある。アルベールを通じて社長から頼まれたものだが、彼女の分も入っていたらしい。アルベール以外に料理を作ることは滅多になくて、だから彼以外から料理を褒められるのは貴重で、貰った手紙も大切に仕舞っており、たまに中身を読み返すこともあった。
 何か彼女が辞める事情ができたのかと尋ねると。それ自体はめでたいことなんだ、娘さんが子供を産むから世話の為だと返ってきて、今度社長経由でお祝いを贈っておこうとユリウスは決めた。
「で、新しいマネージャーに問題がある、と?」
「俺にとっては、だが」
 顔を歪めるアルベールを見て珍しいとユリウスは思う。彼ははっきりと表情に出してまで人を嫌うことはあまりないのに。
「やたらベタベタしてくるし、食事には毎日のように誘って来て鬱陶しい」
「若い女性なのかい?」
「俺達より二つか三つ下だったか」
「……あの社長がそんな若い女性を君のマネージャーにするとは」
 スキャンダル関係の対策は結構しっかりやってきたはずの社長が、アルベールに若い女性マネージャーを宛てがった事実を不思議に思うと。
「恩師の娘だとかで断れなかったと聞いてる」
 答えはすぐに知らされた。
「その上マネージャーとしての腕は優秀だから暫く我慢して欲しいとも」
 暫く、ということは代わりの、もっとアルベールの意に適ったマネージャーを用意する気はあるのだろう。ただそれがいつになるかは分からないが。
「ベタベタの方はともかく、食事の誘いはたまにでも応えてあげれば気が済むんじゃないのかい?」
 アルベールのマネージャーとなった若い女性が、彼に擦り寄っていることに思うところはあるし、心穏やかではない。けれど一般的には男の自分より、若い女性である彼女の方がアルベールの横にはふさわしいのだろう。そんな想いに囚われかけた時。
「……嫌だ。これから遠方でのロケも増えてきて、ただでさえお前と過ごす時間が減るかもしれないのに。何でお前と過ごすはずの時間をただの仕事相手と過ごさなきゃいけない」
 はっきりとアルベールの声が響く。
 つまり彼が苛立っていたのはマネージャーによって自分と過ごす時間を邪魔されるのが嫌だというのが一番の理由だと理解して。
 思わず笑う。自分が不安を抱いている時、それとは知らず彼はいつも欲しい言葉をくれる、昔から。
 しっかりと笑みが形成できているか少し気になったが、アルベールからの指摘はなかったので多分大丈夫だろう。表情を繕うのは得意だ。ただ昔から、彼の前では被った仮面が剥がれる場面が多々あった。
 自分との時間を大事にしたいと願う彼の苛立ちを紛らわせるために、今日は二人で昼間からワインを飲むのも良いかもしれない。ちょうど昨日の買い物で酒類の専門店に立ち寄った際、良いワインを見つけていた。店の主人に勧められ試飲して、その味に懐かしさを覚え、すぐに購入を決めたのだ。
「親友殿、今日は君の苛立ちを発散するために久しぶりに飲んだらどうだい? 明日は確かオフだろう?」
 ちょっと興味深いワインを見つけてね。レヴィオンで作られていた葡萄酒のひとつと良く似た味わいなんだ、と告げると。
「ああ」
 彼はすぐに頷く。
 ユリウスの膝の上に相変わらず頭を落ち着けているアルベールだが、眉間にもうシワは寄っていなかった。

「んっ、くすぐったいよ」
 アルベールの唇が、頬に触れ、そしてすぐに離れる、その繰り返し。
 彼の片手にはグラスが握られている。中身は勿論ユリウスが購入したワインだ。
 最初はテーブルを挟んで向き合って飲んでいたのだが、途中アルベールが椅子を抱えて隣に移動してきて。
 彼から頬や額にキスを贈られながら、合間にユリウスもグラスの中身をゆっくりと舌で味わっていた。
 一応つまみも用意しているのだが、アルベールの唇はつまみのチーズやハムよりもユリウスの肌を食む回数の方が多い気がする。
 アルベールは先程までハイスペースでグラスを空にしていて。確実に酔っているのは分かっている。普段なら飲み過ぎは体に良くないから適当な所で切り上げるよう注意するが、今日は特別だ。
 酔った彼がやたら触れてくるのも、止めはしなかった。

【P46~】
 食事の後、彼女と談笑し、料理を作った彼女の祖父に礼を告げてから店を出る。
「そういえば……あの国でも君が食事に誘ってくれたことがあったね。外での食事を渋る私に貸し切ったから大丈夫だと言って」
「……ああ」
「あの時君は何故か酷く緊張した様子で」
 その理由が分からなかったんだけど、とユリウスが微笑む。
 そして続けられた言葉は、冷たいものではなくからかいを含みながらも優しい響きのものだったけれど。
 アルベールの心に濃い影を落とした。
「もしかして、あれはプロポーズのつもりだったのかい? 今更ながらあの時の君とこの世界で君が迎えに来てくれた時の姿が重なってね。レヴィオンでははっきりとは言ってくれなかったから。どうも私はこういう話題には鈍いらしくてね」
 そのつもり、だった。
 一緒に暮らさないか、と告げたそれは。
 一緒に人生を最後まで生きていかないかというプロポーズのつもり、だった。
「でも不思議だねぇ。君に言われたことははっきり覚えているんだけど。……私自身がどう答えたかは記憶の中のどこにもないんだ」
「……」
 なんと返していいか分からなくてただ沈黙する。
 返事を期待していたわけではない様子のユリウスから紡がれる言葉はすでに次の話題に移っていた。
「食材庫には私が扱いを知っている食材がいくつかあってね。暫くしたらまた懐かしい料理が食べられそうなんだ。だからまた」
 連れてきてくれるかい?
 ユリウスの問い掛けに勿論だと答えてから。
 二人並んで家路へと向かう。
 一緒に暮らさないかというプロポーズへのユリウスからの答え。
 それはアルベール自身も知らない、知ることができなかったもの、だった。

【P55~】
「?」
 外に出て暫く経ってから、自分が妙に周囲の人の視線を集めているような気がして首を傾げる。
 店のガラスに反射する自分の姿を確認しても特におかしなところはない。首の傷も今日は髪だけでなく夏仕様のメンズストールで隠しているから、風が髪を捲くり上げたとしても見えないはずだ。ストールはアルベールがくれたもので、ファッション誌の撮影時に貰ったと聞いている。俺はこういうのはつけないし、お前のほうが役に立つだろう? と言って渡してくれて、丁度首の傷を隠すためになにかいいアイテムはないかと探していた時期だったから、有難く受け取ったのだ。
 落ち着かない気分のまま電車に乗り込むと。
 既に電車内に座っていた女性がハッとした顔でこちらを見た。
(……知り合い、ではないね)
 この世界での知り合いは多くない。名ばかりの家族のもとで暮らしていた時はあまり人と関わらないようにしていたし、そもそもあの家と今アルベールと暮らす家は遠く離れている。学生時代の知人かとも思ったが、女性はまだ十代後半に見えるから違うだろう。
 その後も電車に揺られながら何人かの女性の視線が自分に突き刺さるのを感じて、電車を降りたら少し変装でもしようと決めた。
(これならいくらか印象が変わるはず)
 目的地の駅のトイレで縁の太い眼鏡を掛け、髪もコンビニで適当に購入したヘアゴムで少し高い位置で括り上げる。眼鏡はPC用眼鏡で度は僅かにしか入っていない。映画が見づらかった際に掛けようと思って持って来ていたのだが思わぬ所で役に立った。
 やはりこれだけでも印象はかなり変わるらしく、そこからは注目を浴びることはなかった。そもそも何故あんなに見られていたか、理由に全く思い当たらないのだけれど。

 駅を出て少し歩いた場所にある映画館へ向かう。
 パンフレットを購入するつもりだったが、入荷数が少なかったのかそれとも思った以上の売れ行きだったのか、映画館のパンフレット売り場、アルベールが出演する映画のタイトルが記された棚にパンフレットはなく。売り切れ、入荷未定の張り紙が掲示されていた。
 ユリウスが予約していたのは一番後ろの席。
 チケットを館員に差し出し、半券を受け取って入場する。映画館の空調というのは効きすぎていることが多く、この映画館も例外ではなくて、念の為にと持ってきていた上着を羽織ってから席に座った。
 上映までの間、ぼんやりとスクリーンに映し出される宣伝を眺める。中にはこれから始まる映画の短い予告編もあったが、その予告編にもアルベールの姿はなかった。
(始まるか)
 ぼんやりと照明が点いていた館内、部屋が完全に暗くなり、ブザーとともに開始の放送が入る。席はほんの数席を残して埋まっていて、ユリウスの両隣にもいつの間にか人が座っていた。二人とも若い女性だ。映画の売りである主役とその敵役であるアルベール、彼ら二人共が特に若い女性に人気が高いのだから当然といえば当然だろう。
 始まった映画はファンタジー色が強く、レヴィオンを思わせるものも多くあって。それらに過去の記憶、苦いものが多かったが優しく甘いものも確かにあったそれを引き出されながら、映画の内容を追う。
(……まだ出ないのか?)
 そう考え始めた時。画面にアルベールのものと思わしき、黒を基調にした衣装、その足元が映る。瞬間、周囲の女性達の何人かが息を呑んだのが分かった。おそらく彼女たちは既に映画を見ていて、この後のこと、これから映し出されるアルベールの姿を知っているのだろう。
 彼女たちの緊張感は大好きな芸能人の登場シーンを待つものとはどこかかけ離れている気がして疑問には思ったが、理由はこれからわかるかと雑念を振り払い、画面に集中した。
 カメラがゆっくりと登っていき、アルベールの口元あたりを映し出す。その際に彼の耳に耳飾りが揺れているのが見えた。
(装飾品をつけている姿は珍しいな……)
 整った容姿にその身を飾る装飾品は似合うと思うが、彼自身が進んで身に着けたところは見たことがない。この世界でもレヴィオンでも。ピアス穴は今の彼の耳には開いていないし、過去の式典でも、彼は勲章を身に着けてはいても耳飾りや首飾りなどでその身を彩ったことはなかったはずだ。装飾品を身に着けずとも、彼の存在は式典や夜会で大いに目立っていて、彼を利用しようと近付く輩を自らの口で追い払った記憶もある。
 アルベールと共に式典に出席した日々に思いを馳せていると。
 いよいよ映画の中での彼の姿が明らかになる。そして。
 大画面に映し出された彼の顔、その表情に。
(……え?)
 ユリウスは体を凍りつかせた。
 無表情、無感情、何も映していない虚ろな瞳。普段生気に溢れ澄んでいるはずの彼の瞳は、濁っている。
 アップになったその瞳の端に主人公の姿が映り、虚無から何らかの感情を持ったことが分かるが。
 次に彼に浮かんだ表情は『邪悪』としか評しようがない笑み、だった。
(……主人公の敵で、悪役的な立場だと聞いてはいた……聞いていた、が……)
 似合わないねえ、君に悪役の演技なんてできるのかい? とからかいのネタにしたことすらある。実際彼は生来の自分と掛け離れすぎた演技は苦手だと言っていたし、今まで彼が演じてきた役はユリウスのアドバイスを受けて彼が普段の自分から少し方向性を変えるだけで何とかなるような役ばかりだった。
 けれど今この映画の中の彼、アルベールは……。
(その表情だけで『悪側』なのが分かる……)
 彼にこんな演技ができるとは思わなかった。
 いやでもこれは本当に。
 演技、なのか?
 ユリウスの戸惑いをよそに、スクリーンの中でストーリーは進んでいく。本筋の流れを邪魔しないようにたまにではあるがアルベールの役の過去話が幾度か差し込まれ。
(!!)
 そこで彼の恋人役として登場した立体映像に、自分が視線を集めていた理由を悟った。
 精巧な、けれど実在の人間ではないとはっきり分かる彼女。その顔は、どう見てもユリウスそっくりだったのだ。
 もしかしたらアルベールが映画の話をあまりしたがらなかったのはこれもあったからなのかもと思い当たる。立体映像にアルベールの意思が反映されているのは確かだろう。ただ彼もまさか全くそのまま使われるとは思っていなかったのではないか。
(何にせよ、ここから関係がバレたらどうするんだい……いや親友に似せてしまったと言い訳はできるか)
 実在の女性をモデルとするよりは、表向きは親友となっている自分の方が騒ぎにはなりにくいかもしれない。つらつらとそんなことを考えているうちにまた場面が変わる。
 それはアルベールの演じる役が『悪』に堕ちた転機が明らかになるシーンで。
 映し出された悲劇に。 
 思考が真っ白になった。
「……っ」
 館内放送が映画の上映終了を告げ、その音で漸く我に返る。
 スタッフロールを呆然と見ていて、脚本協力にアルベールの名前があったことは覚えているが、それ以外のことはあのシーン以降曖昧だ。
 あれが映画の中だけの出来事ならば、ただのフィクションならばそれでいい。
 アルベールに向かって、演技ができないなんて嘘じゃないかと笑いかけることもできる。だが。
 そうではなかったら?
 あれが実際前の世界で起こった出来事、だったら。
 あの国で『英雄アルベール』に複雑な思いはあれど、その存在に確かに救われてきた身としては。彼が英雄で有り続けることを望んだ身としては。
 あんな彼の姿が演技ではなく、『過去の現実』だとは思いたくなかった。

 

 

 

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