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​「月や星を求めても」 本文サンプル(書き下ろし分)

【P171~(書き下ろし分冒頭)】

「夜会?」
「ああ、お前が俺の正式なパートナーになったと周囲に知らせるための」
 行為を終え、体の後始末も済ませたベッドの上。ユリウスはアルベールと横寝の形で向かい合っている。疲労はあるが、運命の番に求められ、その欲を幸福感の中で受け止めて、心は満たされていた。
 そんな折、アルベールから夜会への出席とそれに伴う衣装の新調を申し出られる。暫くそういう場には出席していなかったが、アルベールの言う通り彼の正式な番となった事実は一度外に広めて置くべきだろう。彼の番だと周囲に認められることで、この身はまた城、そして騎士団への出入りも叶うのだから。ユリウスは出席への了承の意味で、頭を軽く上下させた。
 おそらく話自体は以前からあり、けれどアルベールはユリウスのヒートが終わる時期まで待っていたのだろう。今回のヒートは今日で一週間。体の奥、その熱は先程までの行為ですっかり治まっており、明日にはもう苛まれていない予感がある。
 アルベールの番となり、ヒートを起こしても彼以外のアルファを誘惑してしまうことはなくなった。けれどアルベールはヒートを起こしたユリウスの姿自体を、他に見られるのすら嫌なようだ。その上ヒートの予兆が来たと告げると、次の日からは騎士団の仕事を休みヒートが終わるまで、余程のことがない限りユリウスの傍に張り付いていた。ヒートが完全に終わった直後からならば、次のヒートが訪れるまでには一ヶ月ほどの余裕があり、そこまで警戒も必要ない。夜会の日程もその警戒が必要ない時期に合わせていると予想できた。アルベールの要望で。
 物好きだと思いながらも、彼のその、己へと向かう独占欲のような気持ちはユリウスの心に暖かいものを与えてくれる。誰かから『強く欲され、求められるもの』という存在に、幼い頃から周囲の多くに厭われてきたこの身がなれる日が来るとは思っていなかったから。
 騎士団に残るためにアルベールを誘惑し初めて体を重ねた日、彼が自分の運命かもしれないと感じた時には、彼にとってそういう存在になれるのかもという期待があったが、その期待はすぐに裏切られていた。もっともそれはアルベールが誰かから『運命の番』に関わる呪いを受けていたせいで、間違いなく自分たちは運命の番だったのだけれど。未だにヒート時に彼と体を重ねている時以外、その事実をどこか遠い世界の出来事のようにも感じていた。
「夜会用に服を新調する必要はあるのかい?」
 アルベールもユリウスも立場上それぞれ礼服は何枚か持っていて、中には似たような色を基調にした服もある。番として出席するとしても、わざわざ新調せずにそれらから選べば良いのではと思ったのだが。
「俺がお前に贈りたいんだ。番の、正式なパートナーの証しとして」
 幸せそうな笑みとともに言われてしまえば、無下に断るのは憚られて。
「……分かったよ」
 と返す。
 そしてこちらに向かって伸ばされたアルベールの手、その指が髪を優しく梳く感触に眠気を誘われて。ユリウスは重くなってきた瞼を下ろした。

(……これは確かに新調が必要だったねえ)
 ヒートの終わった翌々日。アルベールとともに夜会用に新たな礼服を仕立てに訪れた店で、礼服のデザイン画を眺めながらユリウスはそんなことを思う。
 ユリウスはこの店を今まで利用したことはなかったが、評判は耳にしていた。仕上げまでのスピードを売りにしている店で、けれど仕上がりが雑だということはなく。急ぎの品を仕立てるために訪れる人が多いと騎士団に所属していた際に聞き及んでいた。アルベールは何度か利用したことがあるのか、店に入ると迷う様子を見せず、ユリウスの手を引いて、今デザイン画を見ているこの部屋へと案内を待たずに向かっていた。
 ユリウス用にと示されたデザイン画、その基本は今持っている礼服と似たような形だが、ところどころに女性的な装飾が施され、上着の裾からはドレスのような長いフリルが伸びている。アルベールが店に番と訪れることを予め伝えていたのだろう。そして店は彼の相手ならおそらく『オメガ』だと考えて準備した。アルベールは多くの人々の前でユリウスを番として求めたが、その場で彼がユリウスのバース性を明らかにするような真似はしていないはずだから。アルファ同士で婚姻を結ぶこともあるにはあるが、あまり推奨されていない。男女であってもアルファ同士では子を成す確率が減ってしまうらしかった。人の心が根底にある問題だから、国としてアルファ同士の婚姻を禁止まではしていなかったが、国力を減らすような婚姻は歓迎できないだろう。優秀なアルファと子を宿しやすいオメガ、その組み合わせが国の最も推奨する組み合わせで。デザイン画は明らかに『オメガ』を意識したものだった。もっとも男オメガの出産率についてはデータがなく、ユリウスもこの国で自分以外の男性体を持つオメガに出会ったことはない。他の国でも女性オメガに比べると数は少ないらしいと以前読んだ本に記されていた。
「あの、何か不都合でも?」
 デザイン画を手にしておそるおそるといった様子で尋ねる店員の視線は、ユリウスではなくアルベールへと向かっている。ユリウスも隣のアルベールを見遣ると。彼は少し不機嫌そうだった。
「これはこういうデザインじゃないと駄目なのか?」
 ユリウスのためのデザイン画を見つめる彼の表情はやはり険しい。そして小さく呟かれた『支配したいわけじゃないってのにこれじゃまるで……』という言葉に、ユリウスは彼の機嫌が悪い理由を悟った。
 アルベールとしては番の証として礼服の色や小物などを揃える気だったのだろう。アルファとオメガの関係上、行為ではユリウスが女役ではあるがそんなことには関係なく、二人の関係は対等であるべきだと彼は思っているようで。それは彼の行動や言葉から常に伝わってきていた。しかし店側から提示されたのはユリウスがオメガであることを、アルファに支配されている存在であると示すような女性的な礼服。
 店員はアルベールの不機嫌の理由に全く思い当たらないらしく、おろおろしている。無理もない。番のオメガと対等でありたいというアルベールのほうが珍しいのだ。この国のアルファはオメガを支配することにも歓びを感じるように出来ているのだから。この国のアルファであるアルベールにも当然同じ気持ちはあるはずだが、ユリウスと対等であることを優先したい彼はそれを表にほとんど出さない。せいぜい行為の際たまに「俺のものだ」と囁かれる程度だ。
「親友殿、私はこのデザインで構わないよ」
 デザイン画の一つを店員に指で示す。提示された中では一番女性的な装飾が少ないものだ。それを見つめながらアルベールへの言葉を重ねる。
 普通の礼服では私と君が正式な番になったとは示せないかもしれないだろう?
 それに……。
 アルベールにだけ聞こえるように身を寄せて小さく囁く。
 番となってからは以前より口にする機会は幾分増えているものの、それでもおそらく他の恋人同士に比べると伝えた回数は多いとは言えない、心の内を素直に言葉にしたそれに。
 彼は何とか納得したようだった。
『……私は君に支配されている状況を嫌だとは思っていないよ。オメガであることも、今は良かったと思っている。オメガでなければ君の「運命」にはなれなかっただろうから』


「んっ」
 目の前には姿見。
 磨き上げられた鏡面にはこの間仕立てたばかりの礼服を身に着けて椅子に座る己と、その項に唇を寄せるアルベールが映し出されている。今日は長い後ろ髪を片方に寄せて緩く編み込んでいるから、項は普段より露出しやすくなっていた。ほとんど装飾をつけることのない耳にも、アルベールの瞳の色とよく似た小振りの宝石に彩られた耳飾りをつけている。
 これから夜会に向かうのだ。アルベールの正式な番、パートナーはユリウスとなったのだと多くの者に披露する場へ。
 アルベールの唇は軽く項を吸った後すぐに離れ、そして彼の手がユリウスの首に礼服と同じ生地で作られた幅広のチョーカーを優しく巻き付けていく。
 外側に布を巻き付けることで無骨な金属部分を隠してはいるが、上等な布とレースで彩られていなければチョーカーというより首輪に近い。これも礼服を仕立てた際にアルベールがユリウスのために注文したものだ。積極的に求めたのではなく、店員にその必要性を説かれて渋々購入に至った経緯がある。
 ユリウスはアルベールに項を噛まれ、彼の正式な番となったが。地位の高いアルファや力のあるアルファは番の契約を上書きしてしまうことが極まれにある。それを防ぐために番に首輪を贈るアルファは多いという話を聞いたアルベールは、表情を曇らせながらもできるだけ首輪に見えないデザインで、と強く言い含めてから注文していた。以前アルベールから贈られた首飾りと一体化した蝶の耳飾りでも首元は隠せたが、あれはデザイン的に今日の礼服には合わないだろう。娼館で暮らしていた頃は、唯一持ち出したアルベールから贈られたものということもありずっと身につけていたが、彼の傍に戻ってきてからはほぼ身につけることはなくなった。離れていた時期のことを思い出すのか、あれを見るとアルベールが少し悲しそうな、どこか悔いているような表情を浮かべるからという理由で。その理由については己の心の内だけに留め、彼に伝えてはいなかったが。
 チョーカーを結び終えたアルベールが身を起こし。ユリウスも椅子から立ってアルベールの姿を瞳で確認し、彼の少し曲がっていたタイを整え。二人並んで外へと向かう。そして家の一番近くの大通りまで歩いて出ると。そこに城からの迎えの馬車が停まっていた。馬車を引く馬は二頭。その二頭を見てユリウスは目を瞬かせた。
 馬たちがユリウスを見て甘えるような響きで嘶く。二頭の馬はアルベールの愛馬そして、ユリウスが城で以前良く乗っていた馬で。
 こちらに向かって頭を下げる御者は幼いユリウスに乗馬を教え、今は城の厩舎に勤める男、だった。

【P184~】

 帰宅し、入浴を終えて、同じベッドに入る。
 ヒート期以外はただ身を寄せ合って互いの温度を感じながら眠るだけ。ユリウスはその現状に満足していたのだが、その日。
「……なあユリウス。今度……ヒートの時以外でも抱いていいか?」
 アルベールの口から意外な要望が告げられた。
「それ、君が面倒なだけだと思うけれどねえ」
 ヒート時以外は普通の男の体で、受け入れる準備もできていない。繋がるまでに長く時間がかかってしまうだろう。
「その面倒をしてみたい……いや俺はそれを面倒だとは思わないし……俺たちがアルファとオメガじゃなく、普通の男同士だったらやってたこと、だろう?」
 アルベールの言いたいことは理解できた。彼はアルファとオメガという枠に囚われず『普通の同性の恋人同士』の行為をしてみたいのだ。そして、そうやって求められるのは。
「……準備が必要だろうから、それが整ってからなら」
 ユリウスにとっても嫌なことではなかったから、そう返すと。
 アルベールが緩く笑んで、その唇がユリウスの額や頬に優しく落とされる。ユリウスもアルベールの後頭部、その髪に緩く指を絡めて目を閉じ、口付けを受け止めた。
 繋がるまでの苦労や痛みは当然あるだろうが、その末の結び付きはきっと二人の関係を今より深いものにしてくれると。
 この時はそう思っていた。

(もうそろそろ、か……)
 部屋の時計を確認したユリウスは、アルベールの帰宅が近いと知る。明日、アルベールは休みを取っていて。今夜、彼の求めを実践することになっていた。
 事前にある程度彼を受け入れる準備をすべきかと悩んでいたユリウスだが、それはアルベールによって止められた。そういうのは全部俺がしたいから、と。必要になりそうなものもいつの間にかアルベールが揃えていて。ベッド脇のテーブルには一見工芸品にも見える繊細な細工の容器に入った潤滑剤も鎮座していた。
 普段はアルベールの帰宅後、二人で夕食を摂るからこの時間は食事の準備の時間なのだが、今日はそれもしなくて良いと言われている。何か買って帰るから、と。そして夕食は体を繋いだ後にしたいとも言われていて、ユリウスも了承していた。行為の前だと柄にもなく緊張感で何も口にできなくなる気がしたから。
「ただいま」
「!」
 普段は家の外にアルベールの気配が近付けば分かるのだが、今日はこれから過ごす時間へと想いを馳せていたからか、彼が寝室に辿り着きその扉が開くまで帰宅に気付かなかった。
 少し遅れておかえりなさいませ、と返すと。
「ふ、ぅん」
 抱き寄せられ、口付けられる。常ならばその唇は軽く触れただけですぐに離れるのだが。
「んっ」
 今日はそのまま舌を絡める深いキスへと変化していく。
 ヒート期以外は頬や額に優しく口付けられたり、軽く唇を合わせたりすることはあっても、深い、性感を煽られるような口付けは交わしたことはなく。今日が初めての経験だ。
 目を閉じて、アルベールの舌に自らの舌が絡め取られるのを感じながら。ユリウスの体の奥に熱が灯る。
 ヒート時のような強い、泣きたくなるような幸福感はない。けれど、重なり合った部分からじんわりと柔らかい幸せが広がっていくような気がする。
「あっ」
 口内を散々貪ったアルベールの唇が離れた瞬間、ユリウスの体は力が抜けて崩れ落ちる。けれど膝を床に着く前に。アルベールの腕によって抱え上げられ、そして。
「んっ」
 ベッドの上に優しく落とされた。
 覆いかぶさって来たアルベールを見上げると、その瞳には欲の熱が滲んでいて。ヒートによるオメガの誘惑がなくとも、彼がこの身を求めてくれているのだと伝わって来る。
 服を脱がされ素肌を這い回るアルベールの指や舌に、体や声が反応を返していたが。
「!」
 彼の手が前に、未発達な男性器に伸びた瞬間。ユリウスの体は酷く強張った。
「ユリウス?」
 素肌に直接触れていたアルベールにもユリウスの様子が大きく変化したのは伝わったのだろう。気遣う視線が向けられる。
「そこはほとんど感じない、から」
 何の反応も示さない部分を触っても楽しくないだろうとそう告げる。けれど。
「ほとんどってことは全く感じないって訳じゃないんだろう? ヒートの時も反応してた気がする……だから触っていいか?」
 と尋ねられれば、拒否する選択などなかった。
 アルベールの掌が小さな男性器をすっぽりと包み込む。そしてその瞬間。
「ひっ」
 ユリウスは過去の、幼い頃の記憶、忘れていたはずの記憶を刺激され。
「いや、だっ」
 身を起こし、性器を包んでいたアルベールの手を払っていた。払われたアルベールは驚きに目を見開いていたが、彼以上に驚いたのはユリウス自身だ。

【P231~】

 視察旅行は番として有意義なものだったと思う。トラブルもあったが、それは早期に解決できた。ユリウスも旅行の間は楽しそうにしていることが多く、夜、アルベールに抱かれる際にも珍しく積極的に求めて来た日もあった。最終日に二人で三姉妹たちへの土産を選んだ時間も中々に楽しいものだった。だから。
「今、何と言った?」
 旅行から数か月経ったある日。夜の寝室で、ユリウスが落とした言葉、その内容がアルベールには信じられなかった。彼がそのことで悩んでいるのは三姉妹たちの話で分かっていたものの。そんな言葉を告げられるなんて想像したこともなかった。
 例えそれが、ユリウスが密かに抱え続けて来た夢、それを叶えるためのものであっても。
「……私にはどうやら君の子を宿すことは叶わないようだ」
 君と出会った後の私には夢があってね。そのひとつが君の子供の成長を見守ること。オメガとしてのヒートを迎える前は叶うと思っていたし、オメガとして君の番となった後も……。形は違っても叶うと信じていた夢、だ……。けれど。
 君の相手が私では、その夢は叶わないっ。だから。
 伝えるかどうか随分悩んだのだろう。彼の口から出た言葉は悲鳴にも似た響きを持っていた。しかしそれは一瞬だけで、すぐに静かな声がアルベールにとって残酷な内容を告げる。
「誰か……君の子を産める人を迎えて欲しい」
 君の寵愛を求める女性は沢山いる。その中にはきっと君が心を許せる相手もいるはずだ。

AIKOI-L JYOGASAKI

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