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(ユリウスをずっと俺の傍から離さないためにはどうすればいい?)
彼が離れていこうとしたあの日から、アルベールはそれを考え続けている。
ずっと長いこと引きこもって来たユリウスを外に引っ張り出したのは己だ。なのに今は彼の身の安全を考えた故だが、家に閉じ込めてしまっている。それをユリウスが苦痛に思っていなさそうなのは幸いだが、ずっとこのままでいいとは思っていなかった。誤魔化し続けるのにも限界があるだろう。彼の存在を外に知られても、自分の隣で彼が笑っていられる、そんな状況をアルベールは強く求めていた。
「親友殿、そろそろ夕飯の支度が終わるよ」
「ああ、今行く。有難う」
手伝いの女性は既に解雇した。彼女はアルベールがそうすることを予め分かっていたようだった。殺気まで向けてしまったのだから、当たり前かもしれない。
今はヒート時以外、ユリウスが家のことをしてくれている。女性が家に訪れなくなって、ユリウスは寝室以外でも過ごすようになり、もっと早くこうすべきだった、そうすれば彼女の言葉でユリウスが無駄に傷付くこともなかったのに、とアルベールは今更ながらの後悔を抱いていた。
「ああ、そうだ。これで良いのか?」
食後を終え、頼まれていたものの写しを城から持って帰っていたのを思い出し、ユリウスに差し出す。
「有難う……何か分かればいいんだがね」
渡した紙に書かれているのはアルベール自身と団員たちの、一か月の基本的な行程表。大雑把に大体の日程が記されたそれは特に秘密にするようなものではなく、書き写しも許されている。
ユリウスが紙に集中し始めたのを感じ、邪魔をしない方が良いだろう、と。アルベールは食後の片付けを引き受けることにした。
(……あの嫌な感じが、何か関係あったりしないか?)
ユリウスを連れ帰った後、久々に城で検診を受けた際、不快感を覚えたのを不意に思い出す。ただその不快感はあの時一度だけで、しかもなぜかその後すっかり記憶から抜け落ちていて、今の今まで忘れていたのだ。これはユリウスに知らせたほうが良いだろう。
アルベールは食器を洗い終えたら彼に声を掛けようと決めた。
「ユリウス様を正式な番にはされないのですか? そうすれば番以外のアルファを誘惑する心配は無くなりますし、何よりアルベール団長と番という関係を明らかにすれば害意を持って手を出す者もかなり減るかと」
「正式な番?」
マイムの言葉に首を傾げる。そういえばユリウスが口にした『運命の番』に対する知識も、己は持っていなかった。迫ってくるオメガの女性を退けるだけの知識があればいいと考えていたから、己のバース性に関する知識には抜けが多いのかもしれない。そしてその知識不足がユリウスを苦しめていた要因のひとつなのだと感じている。
「……普通はバース性の判明時に教えられるかと……」
「記憶にないな……」
少しバース性に対しての知識を増やした方が良いかもしれません、資料を持ってきますというマイムに、頼むと告げる。
ユリウスが王や公爵家に利用されることもだが、ヒートで他のアルファを誘惑する事態も恐れていたアルベールにとって、『正式な番』についての知識は強く求めているものな気がした。
(俺は……本当にバース性に関しての知識が殆どなかったんだな)
マイムはすぐに資料を持って来てくれて、それを仕事の合間に目を通しながら、アルベールは今更ながら己の無知を知る。読み進めていき『正式な番』の項目に行き当たって。
(これは俺が求めるものではない、な)
残念に思いつつ息を吐いた。
アルファがオメガの項を噛むことで正式な番の契約をするらしいが、この国では正式な番になった瞬間、オメガはアルファの支配下に置かれ、逆らえなくなると書かれている。
(俺とユリウスは対等な関係だ。……支配したいわけじゃない)
彼が他のアルファを惑わさなくなるのは魅力だったが、支配してしまうとなると。正式な番となってしまえば親友に何かを強要してしまう、それが出来てしまう存在に己がなるのはアルベールが求めていたものとは大きく異なっていた。
更に読み進め、ユリウスが言っていた『運命の番』の項目に辿り着く。
彼に触れ、その体に溺れている際に感じる愛おしさ、幸福感はアルベールの『運命の番』がユリウスであることを示しているのだと、その項目は教えてくれている。しかしその後。
「……俺はユリウスの項を噛みたいと思ったことはないな」
運命の番に出会えばアルファはそのオメガの項を噛みたいという強烈な衝動に襲われると記されていて首を傾げる。
アルベールにはその衝動は今のところなかった。
(いや、もしかしたら……)
彼を抱いた後、愛おしさとともにその身のどこに視線を向けていたかを思い返す。いつも同じ場所というわけではなかったが、その中でも彼の長い後ろ髪の下が気になったことが多くなかっただろうか。
(後ろ髪を掻き上げようとしたこともある気がする……)
そしてその瞬間、痛みが襲ったのだ。ならば、もしかしたら。
(俺が誰かと番うのを嫌がった人間が存在する、のか?)
そしてその相手によってこの身は運命の番を避けるように仕掛けられているのではないのか。
これもユリウスに伝えねばならない。もっとも彼の頭脳は既にそれに気付いている可能性は高そうだ。彼は運命の番のことも以前から知っていて、番に出会ったアルファの行動に関する知識も持っているだろうから。
ユリウスを閉じ込めることなく己の近くに置く、その手立ては結局見付からなかったが。彼と一方通行などではなく運命の番である可能性が極めて高いと知れたことで。
アルベールの心は少しだけ軽くなっていた。
正式な番になれば、ユリウスが他のアルファをヒートによって本人の意ではなく誘惑してしまうのではという憂いは解決する。だがもう一つの効果の方が気になり、彼にそれを提案できない。
バース性についての知識を深めてから、アルベールはずっと悩み続けていた。
「お、アルベール?」
ユリウスに頼まれた食材を肉屋で購入しようとしていたところに、聞き覚えのある、数年前までの騎士団で何度となく聞いていた声が掛かる。
「団長!」
振り返ると立っていたのは前の騎士団長。彼は今はお前が団長だろうと軽快に笑って軽くアルベールの背を叩いた。少し酒でも飲みながら話さないかと言われ、あまり遅くならないのであればと誘いを受ける。結婚でもしたのか? と尋ねて来る彼に首を横に振る。大事な人は居るが、今はまだ彼と己の関係を公にするわけにはいかない。たとえとても世話になった、騎士団長になるまでに指導を受けた相手でも。
そう言えば団長のほうこそ既婚者だったのではと思い出す。ただ彼の妻は高位貴族だと記憶しているから、食事を作って待っているということはなさそうだ。普通貴族は自分で料理をしないし、やろうとしても使用人から止められるだろう。公爵家の長男であるはずのユリウスが料理上手なことのほうが異常なのだ。
お互い畏まった場所での食事は好まないから、大衆食堂でエールで軽く乾杯した後に話を始める。ユリウスとの食事の際は外食でもアルコールは葡萄酒一択だったから、久々に口にするエールだ。元団長は食事も注文していたが、アルベールはユリウスが夕飯を作ってくれているはずだからと、つまみの中でも特に腹に溜まらなさそうな物を注文した。
「そういえば……」
元団長の声は大きいのだが、その声が潜められる。周囲の雑音に紛れ、向かいに座っているアルベール以外には聞こえない程度に落とされた声が紡いだのは。
「ユリウスはどうしてる?」
意外なもの、だった。
(いや、意外ではないのか……ユリウスがあの部屋に閉じこもることを容認していたのはこの人だったな確か)
「お前が知ってる前提で話すが……知らなかったらこの話は忘れてくれ」
あいつ、オメガだろう? 俺が退団した時ヒートはまだ来てなかったが。大丈夫なのかと思ってな。
(……後から、それこそユリウスがオメガだと知ってから気付いたことだが……この人がユリウスがあの部屋に引きこもるのを容認していたのは、やはりユリウスがオメガだという要因も大きいのだろうな)
己はそれを知らずユリウスを連れ出してしまった。そのこと自体に後悔はない。彼と親友として過ごしてきた日々は彼があの部屋から出なければ得られなかったものだから。食堂や酒場での二人の食事も、彼と二人で葡萄酒を酌み交わす時間も、服などの買い物の際に適当に選ぶ自分にユリウスが小言を溢す姿も、彼が閉じこもったままでは得られなかったもの。
ユリウスが部屋から出るまで、そして出た直後は衝突も多かった。けれど今ではそれも良い思い出で、ユリウスもきっとそう思ってくれているはずだ。
過去の彼との想い出を振り返っていると。団長が全くの想像外の言葉を紡いで。
その内容にアルベールはぎしりと固まった。
『ユリウスは俺の番になる予定だった』というそれに。
「……それはどういう?」
アルベールの質問に、前団長は番って言い方はちょっと違うな、と軽い口調で前置きしてから話し始める。
「その感じだともう知ってるだろうが、あいつはヒートが来ていないオメガだろう?」
「……」
今のユリウスは既に初めてのヒートを迎えているが、その事実はアルベールと三姉妹以外は知らない。目の前の男は信用に足りる相手で、彼がまだ騎士団所属なら話しても良かったかもしれないが、既に彼の身分は騎士団から離れている。だから伝えないほうが良いと考えて。アルベールは無言のまま頷き彼の話の続きを待った。
前団長の話では、ユリウスはヒートを迎え子を宿せる体になっていればどこか王家の役に立つ場所に贈られる予定で。けれど彼には一般的にオメガがヒートを迎える年齢になってもそれは訪れなかった。そして彼は騎士団に所属することになった。騎士の仕事はオメガの彼には向かない。ユリウスが入団した際に一応の事情を公爵家から告げられていた前団長は、ユリウスが研究のために部屋にこもるのを黙認したのだと。ユリウスの騎士団所属から一年経った頃、彼がまだヒートを迎えていないならば彼を貰ってくれないかと公爵家から話が合ったことを教えてくれた。
「ちょうど俺が引退を決めた頃で、騎士団長とはいえ引退する相手に嫁がせれば体の良い厄介払いになると思ったんだろう」
しかも子供が産めるわけでもないから正妻は別に娶って構わないとまで言われてな。あれはそれなりに賢いようだから、何も与えなくても勝手に生きるだろうし負担にはならないだろうとも。
「っ」
多分前団長はもっと直接的な、ユリウスを蔑むような台詞を告げられたのだろう。言葉を選んでいる様子がある。けれどその選んだ言葉ですら、アルベールに怒りを抱かせるのには充分だ。
王や公爵家にユリウスが疎まれているのは知っているつもりだったが、そんな提案までされているなんて知らなかった。
「それで……団長はその提案には返事を?」
「その場では何も答えられなかった。一応は向こうも考える時間をくれるとは言っていたしな。そしたら」
公爵の次の訪問前に珍しく部屋から出て来たユリウスが団長の部屋を訪れ。養父母に無理難題を吹っ掛けられているのでは? と聞かれたという。
無理難題というほどのことではなかったが、自分にとってはともかくユリウスにはあまり良い提案とはいえないだろうそれを伝えると。
好きな人は、結婚を考えているような相手は居るのかと聞かれ。
居るには居るが、騎士爵しか持っていない元団長には手の届かない相手だったらしく、それを正直に伝えると。相手の人物の名前を知ったユリウスが小さく安堵の息を零したように見えたという。そして。
『私が手助けできそうな相手で良かった……貴方には恩がある。そんな相手に男でも女でもないこの身の面倒を掛ける気はありませんから』
彼はそう言い残して去っていったのだと。
ユリウスの背を見送った翌々日。元団長はある貴族から養子縁組の打診を受け、その貴族は想い人の遠縁で。身分を気にしなくて良くなった彼は想い人へ想いを告げ、それを受け入れられた。たまに護衛をしていた相手で向こうも密かに団長を想っていて、貴族の婚姻には珍しい恋愛結婚を周囲は祝福し。そんなところにユリウスを押し付ければ彼らを祝福している貴族から批判を受けると思ったのか、公爵が再び前騎士団長の元を訪れることはなく。
「だからあの話は自然消滅したと見ていいんだろう」
一通り話し終わった彼が、少しだけ残っていたエールを飲み込んだ後口にした。
(今のユリウスの気持ちは俺に向かっていると思う。初めて抱いた時からユリウスは俺を運命の番だと感じていたとそう言ってくれている。だが……その時の、過去のユリウスは……)
今アルベールの前に座るこの男のことを想っていたのではないか。
ユリウスの身柄についての提案を前団長が受けた時期、多分アルベールはユリウスとまだ出会っていないか、出会っていたとしても邪険にあしらわれていた頃だろう。
その時期のユリウスにとって、絶対的な味方だったのは前団長だけだったはずで。だからこそ前団長の恋の成就を手伝ったのではないか。彼へと抱える己の心を押し殺して。
そう考えると、ずきりと胸が痛んだ。
なぜもっと早く己は彼と出会えなかったのか、と。
「機会があったらまたな」
「ご馳走様でした」
支払いは前団長が行い、アルベールは素直にそれを受ける。ユリウスにもよろしくなと言われ、二人きりでは会わせたくないなという思いを抱えつつも、ユリウスが前団長と会いたがっていればその機会を作るとも約束した。
(……たとえ俺達が運命の番だとしても)
正式な番にならない限り、ユリウスはアルベール以外のアルファを誘惑する。本人の意思に関係なく。そしてもしその相手がユリウスの項を噛んでしまったら、彼はその相手に逆らえなくなる。
それは嫌だ、と強く思う。今はまだ彼があの家から滅多に出ることはなく、そんな状況はまずやって来ないだろう。けれど閉じ込め続ける気はないのだ。ユリウスを外に出せる状況を作って、そして彼を外に出す前に。
正式な番になることをユリウスが受け入れてくれるのならば。この身に支配される状況を彼が受け入れてくれるなら。
その項を噛んで正式な番に。
そう思った。
今日、前団長に出会わなければ、ユリウスが想いを向けていたかもしれない存在に出会わなければ。こうも強く彼と番になりたいと思うことはなかっただろう。
(まずはユリウスが王や公爵家の支配を受けず外で自由に動けるための身分を……)
前団長との話の中で思い付いたものがある。
ユリウスの存在を『物』として見ているとも思われる可能性もあり、また付属して申し出ようとしている言葉はユリウスには反対されるだろう。その上己のこの国にとっての価値を高く見過ぎている気もしてその部分も嫌ではある。けれど、今考え付く中ではそれが一番。
王家や公爵家の支配からユリウスを解放できる近道な気がした。