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​月や星を求めても 前編 1 2 3 4 5 6

*18歳未満(高校生含む)の方の閲覧はご遠慮ください*

 娼館の一室。簡素な木のベッドの上で目覚めたユリウスの体は、疲労しているものの普段と違い満たされていた。いつもは心の奥底に僅かではあるが隙間風を感じながらの起床だというのに今日は内側から何かが暖かく満ちている。その理由を考えて……。
(ああ、親友殿、アルベールと再会したから、か)
 二度と会うことは叶わないと思っていたアルベールと再会し、二度と与えられることはないと思っていた彼の熱をまたこの身に受けた。この満ち足りた感覚はそれが原因、だ。
(アルベールは?)
 彼に抱かれた後をユリウスは覚えていない。恐らくそのまま寝入ってしまったのだろう。ならばこの場所に連れて来てくれたのはアルベールのはずだ。同じベッドに寝ているかと思ったが、ベッドの上には自分以外の存在はない。
 ゆっくりと身を起こすと、衣服は身に着けておらず。下肢はまだ重かったが、行為の痕は残っていなかった。アルベールが清めてくれたらしい。
 彼の姿を求めて着替えて部屋を出る。部屋を出てすぐのスペースは皆が食事を取る場所になっているのだが、その片隅に置かれたソファに目的の人物を見付けた。
 アルベールは寝息を立てていて、腹には上着を掛けている。まだしばらく起きそうになく、上着だけでは寒いだろうと、ユリウスは部屋に逆戻りして毛布を一枚手にしてからアルベールの元へと歩み寄った。もそ、と体を丸めた彼の体に毛布をそっと掛ける。
(……顔色が悪い……)
 再会は夜中だったから、昨日は彼の顔色までははっきりと分からなかったが。今窓から薄いカーテン越しに微かに差し込む光に照らされた彼の顔色は健康的とは言い難く、閉じられた目の下には薄くではあるが隈も存在していた。
「んっ……ユリウス?」
 数回の瞬きの後、身じろぎと共にアルベールが瞳を開ける。光の反射によって赤にも金にも見える瞳が、ユリウスの姿を映すと同時に笑みを浮かべた。
「………お前の安全を考えると騎士団には戻せないが……俺の傍に戻って来てくれないか?」
 起き上がったアルベールがユリウスの肩を掴み、真摯な表情で伝えてくる。
「君は、あの時私を拒否したじゃないか」
 思いの外責めるような響きになってしまった台詞に、ユリウス自身が驚く。けれどアルベールはそれを咎めたりしなかった。代わりに告げられたのは、彼の心、気持ちだった。
「俺はあの時、お前が俺以外に体を拓くような提案をされたのが許せなかったんだ」
「っ」
 まるで告白のような言葉にユリウスの心臓がドクンと跳ねる。
「ヒートの時は俺以外を求めないでほしい。俺がお前を守るから。だから」
 戻って来てくれないか、ユリウス。
「……」
 差し出された手に、すぐに己の手を重ねることは憚られた。
 アルベールが自分へ独占欲のようなものを抱いている、それを知れたのは嬉しい。けれどきっと、彼の気持ちは自分と全く同じでは、完全に重なりはしないのだ。彼の運命の番は自分ではない。
(運命の番ならば、項を噛みたいと思うはず……私は昨夜ずっと噛んでほしいと思い続けていたのだから)
 アルベールから熱を与えられ、確かに満たされたけれど。彼はユリウスの体が示す望みを、番としての願望を。完全には読み取ってはくれなかった。
「すぐに返事をくれとは言わない。ゆっくり考えてくれていい。親友殿は長期の遠征任務に就いていることになっているし、陛下や公爵夫妻にもお前に起こった変化は伝わっていないはずだ」
 戻って来ても彼らには伝わらないようにする。お前を住むための家も買ったんだ。だから。考えてほしい、俺と共に戻ることを、と言われ。
 断る大きな理由を先回りして潰されたユリウスは、出来るだけ早く答えをだすから少し待って欲しいと伝えるしかなかった。
「ああ、でも」
「親友殿?」
 せめて俺がここに居る間だけは客を取るのは止めてくれないか、と言われ。アルベールの誤解に気付く。
「……私は確かにこの娼館に身を寄せているが、女性たちの食事や衣装の世話をしているだけで私自身は男娼ではないよ」
 そう告げると、アルベールがそう、かと。心の底から安堵したように、恋人の無事を喜ぶかのように息を吐いて。それを見たユリウスの心は複雑な感情を抱いた。

 アルベールはゆっくり考えてくれていいと言っていたが、そんな筈がない。戦や遠征などの大きな理由があるならともかく、それ以外で騎士団長が長く城を空けるなど周囲は良く思わないだろうし、離れている時間が長いほど、戻った際の彼の負担も大きくなる。
(早く答えを出さなければ……)
 己が悩む時間が長いほどアルベールの騎士団長としての評価が落ちてしまうかもしれない。それは駄目だ。彼の価値を下げる理由をこの身が作ってしまうなど、あってはならない。
 いつものように食事の準備をしながら考える。戻ってもいいのだろうか、と。
 朝食はアルベールも娼館の皆と共に取ったが、その後彼は女主人の勧めでやや離れた町にある宿屋に移っていた。ここにアルファの男が居ると問題が起こる可能性がないとは言えないからという理由で。
 女主人の行動はユリウスにとっても有難かった。彼がずっと傍に居ては、考えがまとまらない気がしたから。
「彼があんたの番だろう?」
 夕方になり娼婦たちの今夜の衣装を選んでいると、普段衣裳部屋には余り足を踏み入れない主人がやって来てユリウスの隣に立った。
「……私だけが、私の体と心のみがそう思っているだけ、ですよ」
「その割には大事にされているように見えたけれど」
「元から、オメガだと知られる前から大事にはされていました。私はアルファだと思われてましたし、彼の同志だった。その延長、ですよ」
 口に出してから思った以上にその考えはしっくり来た。彼に恋していたわけじゃない。恋などこの身には無縁だと思っていたしする気もなかった。否、誰かが己に対してそんな気持ちを抱いてくれるなど想像できなかったから、あえて考えないようにしていた。けれどオメガとしての本能が彼が自分の運命だと、愛おしいと告げる。だが彼はこの身と同じ気持ちを抱いてはいない。昨夜あんなに何度もこの体の中に熱を吐き出しながらも、彼が項を噛んでくれることはなかったのだから。
 彼が自分を求めるのはきっと親友として。友として、この身を心配してくれている。あの独占欲のようなものも、親友が不特定多数に身を拓くような状況を、友として、この国の未来を思う同志として見過ごすことが出来ない、そんな思いからだろう。
「ふーん……一方通行の運命の番ってのは聞いたことはないが……そう良いものじゃないさ、『運命の番』なんてものは」
「え?」
 己のように一方通行ならばともかく、本来の運命の番に出会えた二人は幸せなのではないか。ユリウスはそう考えていた。けれど女主人の言葉はそれを否定しているような気がする。
 何故なのか、と衣装に向けていた視線を隣に立つ女性に向けると。
「こっからさきは昔話。ある小国に伝わる、おとぎ話にも近いもの」
 女主人はユリウスと眼を合わせることはせずに窓の外、どこか遠くに視線を向けながら謡うように言葉を紡ぎ始めた。

 ある国に幼い男女が居た。二人は隣同士の家に住み、家族同士も仲が良かった。幼い二人が少年少女に成長した時、二人は結婚の約束をした。二人はたまに喧嘩しながらもお互いを大事に想う恋人同士、で。二人の家族も彼らを優しく見守っていた。二人はこれからもずっと想い合い、幸せな結婚をするのだと疑っていなかった。その国には男女という性別の他にバースという性別があった。少年はアルファ、少女はベータだった。アルファはオメガと結ばれることが多いと分かっていたが、想い合っていた自分達には関係ないと考えていた。けれどある日、少年が青年に差し掛かった時期に、彼の前に一人の美しいオメガの少女が現れた。

「っ」
「この先は大体予想がつくだろう?」
(おそらく……オメガの少女は少年の『運命』だった。幼い頃から想い合った恋人がいるのに、彼は『運命』に出会ってしまった)
 結末がどうなったのかは知りたくなかった。どちらが恋に破れたとしても哀しい話だろう。もしかしたら自分も、少女と同じ思いをする時がいつか来るのかもしれない。この身とアルベールは運命で結ばれてはいないから。
「迎えに来た彼には恋人がいるわけじゃないんだろう?」
 立場上オメガから迫られ過ぎて女性不信気味だということを少しぼかして告げる。館の主人はユリウスがベータの女性と同じ立場になる可能性は考えていないようだった。
「だったらいいじゃないか。誰も哀しい想いをする人は居ないんだ」
 あんただって帰りたいだろ? 本当は。身を売ることを反対した時、体の力が抜けたのが分かったよ。まあこの村の住人やこの村にやって来る連中では、あんたみたいなお貴族様を買えるような金持ちが居ないってのも確かだけどね。……あんたは多分あの男以外に体を拓かずに済む事実にあの時安心したんだろう。『運命の番』という言葉や存在に振り回されるのは反対だけど、それを抜きにして考えてみな。
 そう言い残して女主人は去っていく。彼女と入れ替わりに今日店に出る女性達が衣装部屋に入って来て、ユリウスも女性の支度を手伝ういつもの日常へと戻った。

「お兄ちゃん」
 娼館に似つかわしくない幼い少女の声がユリウスを呼ぶ。彼女はユリウスと共に娼館の女性の世話をしている。ユリウスが来る前は彼女一人が女性たちの世話を任されていたらしく、年齢に似合わずかなりしっかりした子供だ。彼女の生い立ちは中々に複雑で。将来美人になるだろうと予想できる美少女だが、彼女の長い前髪で隠れた右半面の皮膚はかなり広い範囲で火傷の痕がある。だが彼女は傷を厭わない。彼女はこの火傷によって悪趣味な貴族の元へ売られるのを防げたのだから。彼女は自分自身で湯を被り下衆な貴族の自分への興味を失わせた。そして偶然居合わせたこの館の女主人に拾われたのだと本人の口から聞いている。
「朝一緒にご飯食べた人がお兄ちゃんの王子さま?」
 苦笑を滲ませつつ否定しようとして、少女の『王子様』の定義を考える。この場合は実際の王族であることは関係ないだろう。彼女が言う『王子様』は、自分を助け未来を切り開いてくれる人、だ。ユリウスが彼女に読み聞かせた物語の中、ヒロインを救うヒーローのように。
(そう考えたら確かに親友殿は……)
 研究に打ち込んでいたことは真実だが、それを理由にして引きこもって人を、外の世界を知ることを避けていた。幼い頃の経験もあり、外の世界は自分にとって優しくないものばかりだと思い込んでいた。そんなこの身が外に出るきっかけをくれたのは間違いなくアルベールで。実際外は己に厳しかったけれど、厳しいもの『だけ』ではなく、確かに優しいものもあるのだと知れたのは、アルベールが居たから。彼が手を伸ばし続けてくれて、その手を己が取ったから、だ。
「王子様かは分からないけれど、彼が私の世界を広げてくれたのは間違いないだろうね」
 そう伝えると少女は嬉しそうに笑って。
 昨夜アルベールがユリウスを抱えて戻った際、実は起きていたのだと教えてくれる。
 お兄ちゃん、ここに居る間少し寂しそうだったけど、ああ、王子様が迎えに来てくれたんだなって安心したの、と。お兄ちゃんが居なくなるのはちょっと寂しいけど。でもお兄ちゃんはここじゃ本当に幸せにはなれない気がするし、昨日あの人に抱えられてたお兄ちゃん眠ってたけどそれでも幸せそうに見えた、と彼女が笑う。
 幼い少女から見ても、この身がアルベールを求めているのは分かるらしい。
 戻って後悔するかもしれない。いつか彼が本当の運命を見つけた際に、彼と過ごした時間が長ければその分心が大きく傷付くかもしれない。無様に縋ってしまうかもしれない。それにアルベールは友を見捨てられるような性格ではないから、その時には彼自身も苦んでしまうかもしれない。……けれどそれらは今のところ全て仮の未来の話、で。その可能性を考慮しすぎて戻らなければもっと後悔をするのではないか。ならば……。
 女主人の話、少女との会話の中で。
 ユリウスの心の天秤はアルベールと共に戻るほうへと大きく傾いていた。 

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