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城に着き、騎士団長として執務をこなすための部屋で書類などを確認した後、アルベールが向かったのは医務室。正確には医務室と同じ棟にある別の部屋だ。医務室よりやや大きいその部屋は、ユリウスが以前好んで良く時間を過ごしていた研究室に似ている。もっとも向かっている部屋は入室が制限されていて、騎士団の中でも今は騎士団長の役職に就く者しか入れないと聞いているから、ユリウスが訪れたことはないだろう。
その部屋での仕事を取り仕切っているのは王の遠縁である貴族。代々騎士団長の健康管理を任されていると言っていて、アルベールも他の騎士団員と違う扱いを不思議に思いながらも一応は納得していた。健康管理と言うなら団長だけでなく団員達にもしっかり受けてもらった方が良いのではという疑問を持ってはいたが、部屋に勤めている人数は少なく、おそらく多人数への対応はできないから団長だけを別枠として扱っているのだろう、と。能力や地位で扱いが大きく変わるのは好きではないが、同時に仕方ない部分もあるのだとも、アルベールは考えていた。
健康管理のための検査はかなり詳細に、薬も使って行われる。薬によって強制的に眠らされるのは好まないが、検査だからと割り切り、木のコップに入った液体を飲み干して、示されたベッドに横たわる。『あの痛み』以外は特にどこかが悪いとは感じていないが、普段から月に二回この部屋で検査を受けているのだ。ユリウスを探し出し、彼を連れて戻るまでの期間でその検査を何度か無断で休んでいる状況。その結果、部屋の責任者から団長宛に催促の手紙が何通も届いていた。だから他の用事を後回しにしてここに来たのだ。
(……この不快感はなん、だ?)
薬で意識が落ちていく中、何だかとても嫌な気分になる。己の中の何かを不当に捻じ曲げられているような。過去の検査ではなかった感覚だ。
不快感の正体を探ろうとするが、結局答えに辿り着く前に意識が落ち、それは叶わず。
そして検査が終わり目覚めた時、妙にスッキリした気分で。
嫌な気分を抱いたことすらアルベールは忘れていた。
「遅くなってしまったな」
検査のための睡眠から目覚めた後、溜まっていた書類を処理するのに集中していたら、いつの間にか窓から見える空は夜の闇に染まっていた。
長時間机に向かって凝り固まっていた体を解すために、椅子から立ち上がって伸びをする。同時に誰かが側にいれば『おじさん』とからかわれるような声が口から漏れた。
(今日はここまでにしておくか)
処理済みとそれ以外のものに分けた書類を鍵付きの引き出しに仕舞い。明日は少し体を動かす時間も取るかと考えつつ、アルベールは城から出る。途中、賑わっている酒場の前で足を止めた。
ユリウスが家で待っているから酒場に寄る気はないが、この酒場には以前一度だけ、彼と共に訪れたことがあり、その記憶を刺激されたのだ。上品な店ではなく、場末に近い、時には店内で喧嘩すらも起こる店だ。けれど出される料理は素朴ながらなかなか美味く、そして葡萄酒も定番から最新のものまで取り揃えられていて選択肢が多いところを、アルベールは気に入っていた。ユリウスからは「選べる葡萄酒の種類は魅力的だが……少し落ち着かないねえ」と言われてしまったが。
ただその後彼から誘われ、二人で城の彼の部屋で葡萄酒を楽しむ時間が増えたので、結果的には良かったのかもしれない。
(あれは知らないラベルだな)
店先には持ち帰り用の葡萄酒の販売所もあり、以前ユリウスと来た際に彼が何本か購入していたのを覚えている。その販売所で見たことのないラベルの葡萄酒を見付け、土産として買って帰ろうと決める。
戻って来て早々ユリウスがヒートを迎えたこともあり、食事は一緒に食べていたけれど、葡萄酒をメインにして二人で楽しむ時間は取れていなかった。
「ただいま」
鍵を開けて家に入り、ユリウスの姿を探し。彼が一階の、食事の際に使っている部屋に居るのを見付けて声を掛ける。おかえりなさいませ、といつものように返してくれた彼の瞳がどこか此方を伺うような、心配の色を滲ませている気がしたが理由が分からずに首を傾げる。自分は至って普段通りで、何か異常を感じさせるようなことはないはずだ。
「どうかしたか?」
「いや……私の気のせいだったようだ」
尋ねて返って来たのはそんな答えで、アルベールもそれ以上の追及はしなかった。心配されるようなことは何もないのだから。
「まだ食べてなかったのか」
時間的に既に夕飯は済ませているだろうと予想していたが、テーブルの上には手の付けられていない二人分の食事が載ったままだ。
「君が帰って来てから一緒にと思ってね」
どうやら己の帰宅を待ってくれていたらしい。今までいつも一緒に食べていたから、その癖で待ってしまっただけだよ、と言い訳のように付け加えられた言葉に思わず緩く笑みが浮かんだ。
そういえば手伝いの女性が君の帰りが遅いことを心配していたよ、とユリウスに言われ疑問に思う。彼女には夕飯の支度までが仕事だと伝えているし、ほんの少しの間だけこの家で共に暮らした際にも帰りが遅くなるなどよくあることだったから。今までの生活を見ているとユリウスが積極的に彼女に関わるとは思えないから、彼女のほうからユリウスに話し掛けたのだろうか。
(……何か、気にするような言葉を言われてなければ良いが……)
そう考えるがユリウスの様子は特にいつもと変わった感じはしない。ならば多分大丈夫だろう。これからユリウスと葡萄酒を楽しむ時間なのだ、余計なことに気を取られたくない、と。
「見たことのないラベルの葡萄酒が売ってたから買って来た」
アルベールは抱えていた細長い紙袋をユリウスに差し出した。
紙袋を受け取ったユリウスが葡萄酒の瓶を取り出す。そして、これは私も飲んだことがないねえ、と呟いたのを見て買ってきた甲斐があったなと思う。自分たちが王都を離れている間に流通し始めた葡萄酒なのかもしれない。
「夕食を温めなおすついでにつまみを少し作ろうか」
「ああ、頼む」
料理は家事手伝いの女性の領域だと思っている節のあるユリウスだが、今この家に彼女の存在はなく。その間はいつもより積極的に料理を作る気になってくれるようで。彼の世話の為に雇った手伝いの女性だが、料理はユリウスが作れない時だけという条件で頼めば良かったな、と少しだけ思ってしまっていた。
「少し甘めの味だねえ。その割に後口はすっきりしていて悪くない」
「そうだな」
葡萄酒を少量、確かめるように口にして呟いたユリウスにアルベールは頷く。
食事の際はテーブルをはさんで向き合っていたが、今はソファに横並びで座っている。ソファの前に設置されたローテーブルの上には葡萄酒とそのつまみとしてユリウスが作った料理。城でも二人きりで飲む際にはこうしてソファに横並びで座ることが多かった。
ローテーブルの上に並ぶ、ユリウスが作ったつまみは二品。ひとつはサイコロ状のチーズと細かく切ったトマトなどの野菜をソースに絡めたもの。もうひとつは細長い形のチーズフライ。チーズフライは断面が見えるように斜めに切り分けられていて、その断面からはチーズだけでなく野菜の鮮やかな緑も覗いていた。
アルベールはまずチーズと野菜にソースが絡んだつまみへとスプーンを伸ばし掬い取る。ソースはやや辛めで、野菜にも甘めの葡萄酒によく合っており、グラスの中身が一気に減っていく。
つまみを口にしている量はアルベールに比べると少ないものの、ユリウスのグラス、その中身の減りもなかなかの早さで。アルベールのグラスが空になっているのに気付いたユリウスが新たに葡萄酒を注いで、アルベールも彼の、空にはなっていないがほんの少しだけしか残っていなかったグラスに注ぎ返した。
他愛のない、お互いが側に居ない間に今日食べたものとか読んだ本や騎士団の近況など、そんな会話を交わしながら、葡萄酒とつまみを口にしていると。そう時間が経たないうちに葡萄酒の瓶も料理の皿も空になってしまった。
「葡萄酒を追加するならつまみも追加で作るよ」
「……いや、やめておこう。お前もう眠そうに見えるぞ」
「ふふ……君よりは酒に強いつもりだったんだけどねえ……」
その言葉通りに今まで二人で飲む際に、酔って眠りに落ちるのは基本的にアルベールだった。けれどもしかしたらそれは、ユリウスが気を張っていたせいかもしれない。オメガだとばれないように。
「眠いんなら寝ていいぞ」
言外に俺相手にもう気を張る必要はないと滲ませて。ちゃんとベッドに運ぶから、とユリウスの耳元に囁くと。隣の彼の体が小さく傾いで、肩に預けられた頭からじんわりと、アルコールのせいかいつもより高い体温が伝わって来る。崩れ落ちないようにと背中から肩に手を回し、抱き寄せた手で頬に掛かる長い横髪を梳いていると。
「すぅ……」
いつしかユリウスの唇からは微かな寝息が零れ落ちていた。
今日は今までどこか遠慮がちだった彼の声が、以前城で二人で過ごした時のようにたくさん聞けて。それに満足しつつ、アルベールは寝室へ向かうためにユリウスの体を抱き上げた。
「今日は早く出るのかい?」
いつもは朝食後に寝室で準備をしてから出掛けるアルベールが、朝食の席で既に着替え終わっているのを見て、ユリウスは尋ねる。朝食のために一階に下りるのもいつもは二人一緒だったが、今日は先に下りていてくれと言われたから朝食の準備が整えられたテーブルの前で彼を待っていたのだ。
「ああ、少し寄るところがあるからな」
普段は家からそのまま城に直行するが、今日は途中で用があるらしい。
「行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
朝食を食べ終えてすぐに家を出るアルベールを見送る。エントランスポーチの手前まで着いていくべきか悩んだが、アルベールの背中に送った視線が手伝いの女性を捉え。見送りは自分の仕事だと彼女が思っている雰囲気だったから、踵を返して朝食に使った食器が残ったままのテーブルに向かった。テーブルの上に置かれた二つのカップの内ひとつにはまだ琥珀色の紅茶が少し残っている。ユリウスの分だ。アルベールの使ったカップはしっかりと空になっていた。紅茶は食後にアルベールに強請られてユリウスが淹れたもの。この家にはユリウスが好んで飲んでいた銘柄の紅茶がいくつか常備されている。紅茶の他に、良く飲んでいた葡萄酒も。
カップに残った紅茶、冷めてしまったそれを飲み干して。ユリウスは食器の片付けに入った。朝食に使われる食器はそう多くなく、女性がアルベールを見送っている間に片付け作業は終わるだろう。彼女はアルベールの姿がある程度視界から遠くなるまでいつも見送っていて、すぐに戻ってくるということはない。彼女がそういう行動を取っているのを、アルベールは気付いていないようだ。普段は二階の寝室の窓からアルベールを見送っているユリウスはかなり前からそのことを知っていた。
片付けを終えていつものように寝室へと戻る。この場所がこの家の中でユリウスにとって一番落ち着ける場所だった。寝室は『自分にとっての場所』だと、アルベールがこの身のために、オメガとしての自分のために整えてくれた場所だと実感できるから。
寝室の窓からアルベールが向かった方角を見つめる。ユリウスはこの家から城までの道のりは把握していない。ただ彼が向かったほうに城があるのだろうと思うだけだ。戻れるとも思っていないし戻る気もない。けれどアルベールはユリウスと違い、既に本来の、『騎士団長』としての日常に戻っている。彼が久々に登城した日、帰ってきたその顔色がまた少し悪くなっているように見えて心配したが、本人の自覚はなさそうで。そしてその日は二人で久しぶりに葡萄酒を楽しみ、その際の彼は食欲も旺盛で。自分は先に眠ってしまったけれど、目覚めた時にはもう彼の顔色は悪いどころか健康的で、密かに安堵していた。
アルベールの、親友の生活の中で今のユリウスは『異物』だろう。彼自身がユリウスを傍に望んでいるとしても、それは間違いない。何故なら。
(私は彼の番ではない……正式な番ではないオメガを……)
彼はいつまで抱えて過ごす気なのだろうか。
「明日からまた少し休む。悪いが後を頼む」
承知しました、とマイムがしっかりと声を返したのを確認して、アルベールは簡潔にだが礼を告げる。留守にしていた間に溜まっていた書類も、そろそろ処理に一段落着く頃合いだ。
休みを取る理由は予め伝えてあった。そしてそれはこの場所では、三姉妹以外の団員も居るここでは口にすることが出来ないもの。
ユリウスのヒートが近付いているのだ。今日の朝食の際、彼は普段より少しぼうっとしているように見えた。額に掌を添えると伝わってくる温度はやや高く、熱があるんじゃないか? と尋ねたら、おそらくヒートの前兆だろうねと返って来て、数日間仕事を休むと決めた。
彼が持っているのはよく出回っている一番安い抑制剤で、それよりも良い薬を飲めばヒートを抑え込める可能性はあったが、『オメガとしてのヒートを迎えたユリウス』は本来なら王都には居るはずのない存在だ。そして正式には王族と認められていない王の落胤である彼を、蔑んだり敵視したりする者達は残念ながらそれなりに多い。故に口が堅いとされる薬師に調合を頼んでも、貴族に脅されれば屈してしまう可能性は充分にある。だからそういう危険を冒すよりは己が彼を抱いて発散させたほうが彼の身にとっても安全だろう。ユリウスのヒート時には彼の傍に着いていたいという旨をマイムたち三姉妹にだけは予め告げていて。彼女たちもそれに異を唱えることはなかった。
三姉妹に今後の指示を出し、城から出る。家と城の往復は普段徒歩で行っているが、今日は早く帰るべきだと己の勘が告げていて。アルベールは城の厩舎に預けている愛馬に乗って帰宅した。庭先の木に馬を繋いで家の中へと急ぐ。
エントランスポーチまで迎えに出てきた女性に、今日はもう帰って良いと伝えると、なにか含むものがありそうな視線で見つめられたが、結局彼女が言葉を紡ぐことはなく。エプロンドレスを脱いだ女性が家から出るのを確認した後、すぐに寝室へと向かった。
「ユリウス?」
ノックと共に呼び掛けても返事はなく、代わりに。
「んぅ……っ」
ドア越しに微かに聞こえてきたのは、抑えた、けれどはっきりと色を感じる声だ。
やや乱暴に扉を開き、中に入ると、ユリウスはベッドの上で身を丸めて震えていた。
「しんゆうどの?」
こちらに気付いたユリウスの、熱に潤んだ瞳がアルベールの姿を映す。
ベッドに近寄り彼の頬を掌で包み込むと。
はぁ、とその唇から安堵を滲ませた艶っぽい息が零れ。心の奥底からユリウスに対する愛おしさが溢れて来るのを感じながら、親友の肌を覆っている衣服に手を伸ばした。
(……っ)
ユリウスの素肌に掌で触れた瞬間、つきりと小さく痛みが走る。普段は服を脱がし、口付けをしながら奥を解すのだが。今日はそうしてしまうとユリウスに異変を悟られるかもしれない。しかし多少の痛みを感じたからといって発情している彼を放置する気はなく。
「んっ」
アルベールは服を脱がしたユリウスの体を、うつ伏せにひっくり返した。この体勢なら彼が振り向かない限り表情を見られないだろう。
いつもは二人の間を遮るものがあるのが嫌で、彼の肌を直接感じたくて、自分も服を脱ぎ捨てるのだが今日は敢えて、着たまま行為を進める。そのほうが痛みを感じない気がしたからだ。
ごく軽くぺちんとユリウスの白く丸い尻を叩いて、腰を上げさせる。ヒート時のユリウスは基本的にアルベールにされるがままで抵抗することはほとんどない。
「ぁ、あ」
既に柔らかく蕩けている尻孔の奥、熱い蕾を指でいつもより性急に掻き回す。肌が触れ合った部分からは幸福感が、そして己の体の内側からは痛みが走った。痛みはまだ耐えられないものではない。けれど。
(!)
ユリウスが大きく身を捩って、彼の長い髪に隠れた首裏、その項を意識した瞬間。声は何とか耐えたものの、痛みが急に増す。このままでは行為を続けられなくなると思い、そこから視線を外し項を意識するのもやめた途端。痛みは完全にではないものの、かなり治まっていた。
「んぁ」
指を引き抜くとユリウスの唇から喘ぎが零れる。普段はもう少し慣らして挿入するのだが、己の体の異変をユリウスに気付かれたくなく、いつもより早急に事を進めていく。
下肢を包む衣服、その前を寛げると。常なら既に猛っているはずの雄は硬さと熱は持っているものの挿入に充分とはいえず。数回手で扱いて刺激してから。
「--っ」
後ろからユリウスの中に一気に埋め込んだ。
「っ」
「ぁ、あっ」
襲う痛みが強くなり息が詰まるが、幸いといっていいか喘ぎを零すユリウスには気付くような余裕はないだろう。ヒート期のオメガは快楽に酷く弱いのだから。
彼がもっと快楽だけに集中するようにと。
「ん、ぁー」
アルベールは揺さぶる動きを一層強く速いものにしていく。途中痛みから逃れるように乱暴な動きになってしまったが、受け入れるための体であるからか、ユリウスから苦痛の声が上がることはなかった。
「ひ、ぁああ」
ユリウスの中がきゅうと締まり、彼の限界が近いのを知らせる。いつもはこの締め付けに耐え、さらにユリウスを欲するのだが。今日は体に走る痛みのせいでそんな余裕はなく。
「くっ」
ユリウスが達すると同時にアルベールも彼の中に精を吐き出した。
かくりとユリウスの体が崩れ落ちる。いつもより性急な行為はやはり彼にも負担を掛けていたようだ。
硬度を失った自身を引き抜き、ユリウスの乱れた髪を梳こうとして手を伸ばした瞬間。
「ぐっ、がぁ……っ」
今までにない激痛が走った。
漏れ落ちようとする苦痛の声を、必死で抑える。けれど完全には抑えきれず、僅かにだが音になって唇から漏れ出てしまった。
ベッドの上のユリウスは意識を失ったままこちらに気付いた様子はない。
彼から少し離れるためにベッドから降り床の上に座り込んで、ベッド端のシーツに爪を立てながら、続く痛みに何とか耐える。
ユリウスを抱いた後、彼に対しての愛おしさを募らせる時間に訪れる痛み。一時期、ユリウスと再会した直後はかなり緩くなっていたその痛みが、今日は何倍にもなって襲い掛かって来ている。最中は何とか耐えられたが、今は声を抑えるのも難しいほどの痛みが全身を支配している。しかし経験からして恐らく十分もすれば治まるはず、と。ユリウスが起きないことを祈りながらアルベールは声を抑えるために唇を強く噛み締めながら痛みに耐え続けた。
「……はぁっ」
完全に消えたわけではないが、動ける程度に痛みが治まり深く息を吐く。ユリウスがまだ起きる気配はなく、それに安堵する。彼の下肢には精が絡んだままで。清める為の湯を用意しようと、アルベールは浴室へと向かった。
湯に浸した綿布でユリウスの下肢を拭いていると。
「んっ」
その体が僅かに身じろぎして、ゆっくりと瞼が上がっていく。けれど開かれた瞳はぼんやりしていて。
「まだ眠っていて良い」
と囁くと。ゆるりと頭を上下させた彼は再び目を閉じた。
(……俺が感じている痛みは……知られないようにしなければ)
痛みは彼を抱いた後や、彼への想いを強くしている際に訪れる。ユリウスがその事実を知ったら、また離れて行ってしまいかねない。折角連れ戻したというのに。
この痛みは時間が経てば消えるし耐えられる。けれど。
再び彼が自分の傍からいなくなってしまったら、自分の手が届くところから彼が離れてしまったら。以前は間に合ったけれど、今度こそ誰かに、他のアルファに彼が汚されてしまったら。
その事実には耐えられない、と思った。
「あのアルベール様……大丈夫ですか?」
声を掛けて来たのは家事を頼んでいる女性。あの後ユリウスの隣で横になったが眠りが浅く、翌朝いつもより随分早くに目覚めて寝室から出て一階の部屋に設置されたソファに座って時間を過ごした。しばらくぼんやりしていると、エントランスポーチのほうからノッカーの音が響き。扉を開けると、朝食の材料と思わしきものが入った籠を抱えた女性が立っていた。いつの間にか彼女が訪れる時間になっていたらしい。
今日はまだ鏡の前には立っていないから自分では分からないが、多分顔色は良くないのだろう。しかし体調への気遣い自体には感謝するが、看病のために泊まるなどと言われては面倒だと考えて。少し寝不足なだけだから問題ない、と平坦な声でアルベールは告げて、寝室へと戻るために歩き出した。
「……」
ゆっくりと意識が浮上し、段々とはっきりしていく視界でベッド、そして部屋の中を見渡して。ユリウスはアルベールの姿が見当たらないことに内心で首を傾げた。
「っ!」
身じろぎすると下肢の奥からどろりとしたものが太腿を伝う。アルベールの吐き出した熱、だ。
(親友殿の熱がまだ私の中に残っているということは……終わってそう時間が経っていないのか)
オメガということもあり一般的な男性よりもどうしても体力では劣る。アルファの男性と比べたら尚更だ。故に普段は行為の後疲れ切って眠ってしまい、目覚めるのは翌朝というのが殆どで。意識が覚醒した際、アルベールの姿は傍にあるのが常だった。しかし今、アルベールの姿はベッドの上にも部屋の中にも見当たらない。昨夜もヒートの熱を治めてもらうために抱かれたが、目覚めた際彼はこの体の後始末をしてくれていた。
(どこに?)
まだ下肢には違和感と重さが残っているが、アルベールが居ない事実が気になり、ベッドからそろりと下りる。覚束ない足取りで部屋の扉に向かっていると、かちゃりと音と共に扉が開いた。
「起きてたのか」
入って来たのは当然アルベールで、彼の姿が目に届くところに戻って来たことに安心するが。
(……顔色が、悪い?)
体を重ねている最中には健康的に紅潮していたはずの頬が青白く見える。
「親友殿……何処か具合が?」
「いや、別にどこも悪くない」
即答は返って怪しい気がしたが。
「それより、体洗わなきゃだな」
起きてるならシャワーでいいかという言葉と共にその腕に抱え上げられ、浴室に連れて行かれて。尻孔の奥に残った精を指で掻き出される感触に、再び意識を飛ばしてしまい、それ以上の追求は叶わなかった。
「あっ……」
アルベールの精が腹の奥に吐き出される感触に、ユリウスは瞳を閉じる。
(普段のように疲れて眠ったと思ってくれれば良いのだがねえ)
どうもあの夜のアルベールの様子が気に掛かり、次のヒート期が訪れたら意識を飛ばす演技をしようと、そして彼の様子を密かに窺おうと考えて。そしてその『次のヒート』が今日だった。
ずるりと中から雄が引き抜かれ、内襞を擦る感触に声が漏れそうになるのを耐える。アルベールの気配がベッドから下りたのを感じ、気付かれない程度に薄く目を開けると。
(!)
あの日の夜より更に顔色が悪い彼の姿が瞳に映り、思わず身を固くした。
眠っていると思っている己を起こさないように気遣ってだろう、微かにドアの閉開音がして。彼が部屋から出たと知らせる。体感で二分ほど経った頃合いで、ユリウスはシャツだけを適当に羽織りアルベールの後を追った。下肢は重いが繋がっていたのはいつもより短い時間だったのもあって歩けないほどではない。
(この階には居ない?)
寝室は二階で、他にも部屋はあるが人の気配は感じない。
「っ」
中の精が零れ落ちて床を汚してしまわないように尻に力を入れながら、階段を下りると。
「アルベール!!!」
開け放たれたままの部屋のドア、その先にソファに縋るような形で俯せているアルベールの姿が在った。彼の短い爪はソファの背に立てられ、しかもその唇から首筋には紅く細い筋が流れている。
(血!?)
下肢に力を入れることなど忘れ駆け寄ると。
「ちょっと唇を切っただけだ。大したことはない。大丈夫だ」
などと微笑まれる。けれどその顔色はやはり酷く悪く、また何かに耐えるように眉を寄せていて。「大したことがない」とは到底思えなかった。
(血を流している理由は、唇を噛み締め過ぎて切ったからだというのは間違いなさそうだが……しかしっ)
普通に暮らしていく中で、唇を噛み切るような状態に陥ることはめったに無いはず。今日のそれはおそらく何らかの痛みに耐えていた中での行動だろう。
(今までこんな風になった親友殿を見たことはなかった……普段私と過ごしている際に具合が悪そうな様子など感じなかったっ……再会の時は顔色が悪かったが、戻ってきてからはそんなことは……ここまで体調を崩すことなどなかったはず……私が知らないのは)
行為の後、意識を飛ばしている際の彼。
(……まさかっ)
今日の行動のきっかけを作ったあの日、顔色が悪いアルベールを見たのも、彼と体を繋いだ後だったと記憶している。ならばやはり。己が今考えている最悪の想像は間違っていないのではないか……。
この身を抱くことで、彼の体に異変が起きているのではないか。彼はこの体を抱いた後に、酷い痛みに、それこそ唇を噛み切り、血を流すほどの痛みに襲われているのではないのか。
(親友殿に求められて……彼の力になれるのならば、傍に居ることで役に立てるのならばと思って戻って来た。だがっ)
己と体を重ねることで彼に苦痛を与えているというのなら。一方通行の番どころではなく、彼に害を与えているのだとしたら。
……何のためにここに居るのか。
「……ユリウス」
「っ」
「この状態は長くは続かないし、これはお前のせいじゃない。だから」
居なくならないでくれ。
告げられた言葉は彼にしては弱々しく、頬を包んで来た手も今にも落ちてしまいそうで。けれど声は切実な響きを持っていて
ユリウスは頷くこともできずただ呆然と親友の姿を見つめるだけ、だった。